縦裂FNO

俺はポエマー、すべてイカサマ。

社会の窓が開きっぱなし

1.

12月25日、午後13時半。馬喰町駅。馬を喰らう駅と名付けられたここはとても深く、とても薄暗く、湿気は深刻で、あちこちネズミたちが這いずりまわっている。壁は薄汚れ、派手に亀裂が入っており、大きな地震が来れば簡単に壊れるだろう。僕は背中を丸め、駅の雰囲気に恐々としながら長い地下ホームを反対側に向けてだらだら歩く。途中で鼻をすすると頭の中で血の匂いがした。

1番線ホ ーム、車両でいうと品川方面列車の13両目あたりだろうか、何故かホーム向かいの壁から地下水が吹き出している。僕はこの駅に来るといつもここで立ち止まる。総武線快速電車は10分に1本しか来ないので、乗り遅れると佇む以外にやることがない。だから壁から吹き出す水を見る。ザバザバと流れ出す水は驚くほど水量があり、不規則で、見ていて飽きない。たぶん水槽の中を泳いで回るサカナを見ていて飽きないのと同じ理屈。規則性がないものは楽しい。

 

電車に乗り込むと、嘘っぱちの自分をコネコネ練り上げる。要はこれから転職の為の面接なのである。頭の中では間抜けな役者が素早い会話を行なっている。

「個人の成長は会社全体の利益なのです! フェアな社員評価と充実したインセンティブ、そのような御社の方針とお客様に感動と笑顔を与えるというリネンに共感致しました!」

「いいね!名演技!採用!」

 

2.

目的地まで歩く。あの巨大なビルまで、役者揃いのあのビルまで。どんどん近づいて行く。ああ、僕は本当に演じられるのだろうか、奴らを騙すことはできるのだろうか、胃が痛い、頭が痛い、そして何より風が冷たい。めちゃくちゃに冷たい。 手や足や眼球、肺の中までもう何もかもがすっかり冷たくなって、 鼻をすすったときの血の匂いすら真冬に鉄棒を舐めたときのような感じ。

 

「丁寧に頼み込めばだいたいの人は折れてくれるよ。僕は彼女だってそうやって落とした。」

「彼女になってくださいって土下座でもしたの?」

「したよ。額をアスファルトに打ち付けて『お願いします!お願いします!』ってね、そしたらこんな場所でやめてって怖い顔でいうから新宿の珈琲貴族に移動してさっき迄の彼女になってほしいとかそんな話は余所に山口組系のヤクザに殺されたオウム真理教元幹部の村井秀夫の愛読書 は『かもめのジョナサン』だったとか、松本智津夫上祐史浩の彼女を寝取ったとか、最近死刑が執行された井上嘉浩は少年時代に無垢な笑顔でNHKの番組に出演していたことがあったとか面白おかしく話していたら僕のことをインテリと勘違いして翌日から彼女になってくれたんだ。では結果は追ってご連絡しますので、本日はこれにて終了となります。」

「年末のお忙しい時期にありがとうございました。」

 

 

面接を終えて外に出ると辺りは既に薄暗くなっていた。5時のチャイムが流れ、僕は緊張から解き放たれて安堵してはいるものの妙な疲労感を抱えたまま駅まで歩く。夕方は憂鬱、夕方は嫌な想像ばかりしてしまう。冬の夕日はどこか弱気でサイケデリアが足りない、だから僕は普段のようにヘラヘラすることができないし、冷たく吹き付ける風が体の輪郭を模るせいで自分の立ち位置とか存在とかそんなことを強く意識してしまう。そして切実に「帰りたい」と思った。ここ数年の隠れた流行語「帰りたい」。一体どこへかわからないけど帰りたい、家にいても帰りたいと思うあの感じ、だから僕は北から飛んでくる 1発のミサイルが世界の全てを真っ平らにしてくれる妄想か、はたまた期待なのかそんなことを考えながら新宿で途中下車をしてユニクロで靴下を買って帰った。

 

3.

面接で必ず訊かれるのが「転職理由を教えてください」 という質問である。これはどのような意図を持った質問なのだろう。転職を希望する人間の8割くらいはネガティブな理由なんじゃないかと思う。そもそも不満が無ければ転職を希望しないわけであって、それくらい転職者を受け入れる会社もわかっている筈だが、あえて訊くというのはそれだけ役者ぶりを期待されているのだろう。では自分の場合、今いる会社のなにが不満かって、それは働いていると自分がめちゃくちゃに頭の悪い惨めな人間だって思い知されることなんだけど、転職活動のなにが不満かって、それは面接のたびに自分がめちゃくちゃに頭の悪い惨めな役者だって思い知らされることだ。じゃあ俺はなにがしたいんだ? それはツライ、ツライと叫び続け、見せかけの平穏とそれに対するアンチテーゼの均衡をとること、そして自分以外の誰かの、世間の、生ぬるい生の均衡が崩れ落ちるのを待ちわびているのだと何処かの誰かにわからせるため。つまり僕の転職活動なんていうのは、その実態(実態とはなんだ?)を誰かに伝えたい、感じ取ってほしいというパフォーマンスに過ぎない。転職して何かが変わるわけはないのだ。言うだけ言って実行していないのは恥ずかしいから、転職活動をしているだけであり、合否なんてものはどうでも良い。

 

4.

翌日、夕方前には仕事が片付き暇だったので、無口で気弱な後輩に「年末ってなに?新年ってなんだと思う?」 と質問を投げかける。すると後輩は眼鏡の位置を調整して少しの間を稼いだ後、遅れて驚いたような顔をした。

「年末と新年ですかww年の終わりと、始まりで・・・。」

「西暦が加算されることになんの意味があるの?昨日と今日と、これから来る大晦日と正月はなにが違うの?どう思う?ねぇ? どうよ? 何もかも数字で管理して区切りをつけてなにが楽しいのかな?」

「・・・。」

「そんなものがあるかわからないけど、100年で1周する時計のように、時代なんてすべて地続きでいいのにと思うよ。時代に妙な区切りなんてつけるから人はセンチメンタルになってしまうんだ。過去とか、未来とか、今とか言いだしてさ。あ、これは平成生まれの俺が来年元号が変わって古い人間になることの負け惜しみではないよ?いや、センチメンタルになるとか言っているのは俺だけか? だとしたら最悪だ。 誰も好き好んでセンチメンタルになんてならないのに。だってセンチメンタルになるのって恥ずかしいわな? 俺はポエマーだからさ、センチメンタルとはお友達というか、感情っていうのをうまく理解してセンチメンタルをちゃんと引き出してあげたり、おしこめたりしてあげる必要があるんだけど、ついつい後で恥ずかしくなっちゃうんだよ。まぁ翌日に思い出す酒の失敗みたいな?でもそれは感情やテンションの落差っていうものでもなく、なんというかさ、感情が住みついている階層が違うというべきかな? どんな感情だろうがそこに行きつくための入口も出口も別の場所にある。そう思わない?だからセンチメンタルな俺もそうでない俺も同じ人間ではあるんだけど、どちらが素だとかそういうものはないんだ。というか何の話をしていたんだっけ?」

「・・・。」

「俺はぶれぶれだ。まるでカメレオンだ百面相だ。最悪なんだ、もうお終いなんだ・・・。」

「・・・。」

 

5.

「 師走はツケを後回しにしても許される空気があるから好きですね。 」

「新年に苦しい思いをするのはお前だけどな。」

「いいんですよ。俺はいつだって辞める辞める詐欺のつもりで働いているんですから 。どうせ辞めるんだと考えながらであれば仕事は楽ですよ。マジでヤバくなったら本当に辞めれば良いだけですし。」

「誰が後始末すると思ってんだよ。つか辞めてなにすんだよ。」

 「ファミマでバイトっすかねぇ。」

 


6.

12月27日、帰宅すると2日前にメルカリで購入していた華倫変の漫画『 カリクラ 上下巻セット』が配達されていたようで不在表が届いていた。 僕はどことなく申し訳なさを感じながらもヤマト運輸へ再配達依頼をして部屋着に着替えインターホンが鳴るのを待つ。10分後くらいにかなりの尿意を覚え大変辛い思いをしたが、トイレに居る間に荷物が来ては困ると思いひたすら我慢し続け、荷物はその5分後くらいに来た。このようなときに限って家に誰もいない。

中学生のころ、当時の担任の先生(40代女性)が失恋した時は井上陽水の暗い曲ばかり聴いていたと言っていた。当時は「は?悲しい時こそハッピーソングだろ」と考えていたハッピー野郎だったので意味がわからなかったが、今はわかる。 単に歌の世界と自分自身を照らし合わせて『共感』していたのだ。 同じ苦しみを持つ人間が自分以外にもいればなぜか救われた気分になる。人は凄まじいほどに孤独を恐れるから同じ苦しみを持つ人間を見つけると歓喜の涙を流す。決してそれで救われるわけではないのに。つまりあのとき先生は歌に寄り添って「辛かったね、大変だったね、わかるよ、わかるわかる」と言われた気分になって気持ちよくなっていたのだろう。だから僕は同じ理論で華倫変の漫画買ったのだ。28歳でこの世を去った彼の描く漫画の登場人物は皆、普通に生きることが困難で、ふりかかる不条理に涙を流しながら耐えている。もう本当に耐えに耐えて、深く硬い地盤の上で諦めをいなすことに長けているように思える。 だから僕も身の回りのいろいろなことをうまく諦められるようにこの漫画を読む。こんな不幸は普通のことだ、どこにでもある、誰にでもある、なにもかも普通の事だ、誰しもが不幸で、誰しもが悩みを抱えている、それが普通なのだと。パワハラをしてくる上司に死体遺棄を手伝わされたり、ヤク漬けにされた上AVに出演させられたり、恋した相手が殺人犯のレイプ魔だったり、お坊さんに性病を移されたり、張り込みに来た警察官が本当は別のなにかを張り込みして気色悪かったり、そんな話。今も僕は寝る前に聖書を開くようにこの漫画を読む。様々な不条理を身に着けて、不幸を予感して、悲しみに備えるべくして。

 

7.

12月28日は仕事納め。年間で唯一の私服出勤が許される日だが、普段頼りがいのある先輩や上司の私服がダサいと気分が落ち込むので、センスがないと自覚のある人は普段通りスーツで来てほしい。午前中にルーティーンワーク的な細かい仕事を片付けて、午後からは大掃除となった。僕はとりあえずいらない書類を掻き集めてシュレッダーに突っ込んだが、一気に突っ込みすぎたのかシュレッダーは「バンッ!」といって動きを停めた。以後、2時間半に及ぶ懸命な救助活動を試みるも力及ばず、この機械が息を吹き返すことはなかった。大掃除を余所目に会議室でシュレッダーを分解している僕に注がれる視線は冷たく、なんとも後味の悪い最終日となった。

 

8.

12月29日から始まる9連休は仕事のやり方を忘れるには充分な時間で、年明けの事を考えると憂鬱になった。それに世間はやたらと「 平成最後の平成最後の」と騒ぎ立てるので、僕はまたセンチメンタルになる必要があるし、平成初期に生まれてこの時代を駆け抜けてきた身として29日から大晦日までの僅か3日間でこの時代を総括するのは無理な話であった(そもそも平成はまだ終わらない)。しかしテレビでは平成を総まとめする番組が続出し、平成の歌姫や平成のスター、平成の流行、平成の事件、平成の災害などが矢継ぎ早に取り上げられ、そして葬られてゆく。平成の17000000時間は特別番組のたった2時間でまとめることができてしまうのだろうか。深刻な不況と通信環境の爆発的進歩に象徴される僕らの青春はそんな単一的な側面だけで表象されるべきではなく、もっと深い息遣いがあったはずだ、なんてことを思いながら目を閉じるとあっという間にモヤついた眠気にまかれて現実が遠のく。

夢の中で僕はまだ小学生ほどの少年で、なぜか父の勤務先に出向いていた。しかしオフィスビルは昼間だというのに酷く暗く、誰一人いない。廊下の曲がり角や開きっぱなしの扉の奥など行き先の見えない闇の中ではバケモノのような巨大な眼球が蠢いている。エレベーターに乗り込むと床に四方50cmほどの赤い木箱が置かれていて、蓋をあけると濡れた長い髪の毛がぎっしりと詰め込まれていた。エレベーターが下降を始めると空気は一気に冷え込み、甲高い金属音のような音が耳をつんざき、地下3階少し開いたエレベーターのドアの隙間から覗く視線と目があった時、僕は目覚めた。

 


9.

機内で良い香りがすると思い、目を開けるとCAさんが飲み物を配っている。僕のことは寝ていると勘違いしてスルーしたようである。窓の外に目をやると眼下に雲が広がっていて、空は見事な薄暮である。地平線にはまだ微かに夕日が残っており、僕は目を凝らして色の境目をなぞると、夕日のオレンジはほんの僅か白く変色し、淡く青に変わる。そこから先、天に向けては黒に近い紺色へと色を深めている。

暫くすると飛行機は降下を始め、雲に潜る。するとまたも眼下に雲が広がり、同じくしてまた飛行機は雲に潜り込む。その度に飛行機はガタガタと揺れた。