縦裂FNO

俺はポエマー、すべてイカサマ。

創作 『円』

 音は響くことを辞めてしまったのか、その静寂は、気圧変化で耳が詰まったときのそれに近い。聞こえるのは、微かな息遣い、靴底が砂利を転がす音。前後の記憶は無い。僕の主観が最初の景色を捉える。眼前に広がるのは、廃墟寸前の古い建物、長く続く螺旋階段。

「あと少しだから」

 僕は彼女の後に続いて、砂でざらつく螺旋階段をゆっくりと登り続ける。辺りには濃い霧がかかっており、視界はすこぶる悪い。延々と続く同じ景色に時間の感覚は崩れ、脳は思考することを停止している。草木に覆われた立ち入り禁止の看板を超えてゆくような、そんな漠然とした不安だけが執拗にまとわりつき、薄く見開かれた目は録画ボタンの押されていないビデオカメラのように、ただただ流れるままに景色を映し出す。それでも僕の体は誰の命令ともなく、また一歩、また一歩と休むことなく歩を進めていた。それは諦めにも似た無心と言うべきだろうか。

 ふと彼女が振り、僕の目を見る。長く続いていた階段はあと数段で終わろうとしていた。ようやく屋上に着いたのだ。少し冷えた風は霧を押し流すようにして吹き付けているが、その速度はゆっくりで、なお且つ強い圧力を備えているようだった。その風は少し開いた僕の口へ流れ込み、喉を通り抜け、体の内部から手足の指先までを満たし、視界を通じて全身をこの世界に同調させてゆく。

 辺りを見回すと、古めかしさはより一層目についた。ポリエステル樹脂製の巨大な貯水タンクは、まだ中に水が入っているせいか、所々黒くカビのようなものが根を張り、屋上を囲う鉄製のフェンスは酷く錆付き、そこに塗られていたのであろう白い塗料の大部分はぼろぼろに剥げ落ちている。僕はまだはっきりとしない澱んだ頭で、のろのろとフェンスの側まで歩き遠くを眺めたが、たちこめる霧のせいで辺りの様子は定かではなく、どうもこの場所以外に建物は無いということしかわからなかった。風の強弱に合わせ、ひゅーひゅーと管の中を空気が流れるような音が耳につく。

「金縛りにあったことはある?」

彼女は僕の隣まで歩み寄りそう訊いた。

「あるよ。」

「どんな感じだった?誰かの気配を感じたりした?」

「まず、ブーンとした耳鳴りが聞こえる。そのときに『あっ!いけない!』と思うんだけど、もうその時は遅いんだ。既に体は動かなくなっていて、誰かが体の上に乗っているような気がする…いや、誰か、ではないかもしれない。<何か>というほうが正しいのかな。<何か>が居るんだ。その存在は確かに感じるけど、何かが僕の上でうごめいているように見えるだけで、姿、形ははっきりしない。それが本当に怖くて….僕は意識だけで必死に抵抗するんだ。」

「あなたはそれが見えているの?」

「そう言われると、何とも言えないかな…。目は閉じられたままのことが多いみたいだし、見ているのではなく、そう感じているだけなのかもしれない。稀に目が開いたまま金縛りにあうこともあるけど、その感覚が現実のはっきりしたものかという断定はできない。」

「これはわたしの予想なんだけど、あなたが金縛りにあっている時に見ているもの、それは全部夢というか、脳の中で再現されたあなたの視界みたいなものなんじゃないかな。要するにあなたが見ているものは抽象化されたあなたの部屋のイメージだったり幽霊のイメージだったり。たぶんあなたが金縛りの時に見ているものはそれ。あなたもさっき言った通り、金縛りって多くの場合、眼は閉じられているらしいから。 例えば、家具の配置や本の並びなんかは思いだせなくても、入ったことのある部屋の様子は思い浮かべられるでしょう?」

「なるほど。抽象化されるとはそういうことか。それなら、僕の記憶なんて全て抽象化された映像みたいなものだよ。数秒、数分前のことを思いだす事はできるけれど、1から100まで完璧に、細部に渡って思いだす事はできないしさ。」

「まぁ人の記憶なんてそんなものよ。『見たもの』そのイメージをある程度簡略化して記憶することで脳への負担を減らしてさ、毎日いろんなものを見て生活しているわけだし、いちいち全部覚えていたら脳がパンクしちゃうでしょ。」

「確かにね、それは一理ある…。じゃあさっき僕が言った<何か>の存在はなに?」

「それは金縛りというものに対する恐怖心だったり、体が抱えているストレスだったり、捉えどころのない不安みたいなものが具現化されたようなものじゃない?そういった要素は個人によるところが大きそうだから断定はできないけど。」

    それだけ言い終えると、彼女はくるりと向きを変え屋上の真ん中へ歩き出す。その足取りは歩くというより、跳ねているようだ。とてもしなやかで、その様子は『歩く』という行為に対して有り余った力が自然と彼女を跳ねさせている、そんな具合だ。

「記憶って花みたいだよね。水をあげたら咲いてさ、少し枯れてもそれでまた生き返る。」

 そう言って彼女は笑う。その無邪気な笑い声は、固く捻じり閉じられた蕾が音を立てて花開くように冷たく張りつめた静寂を切り崩し、歯切れよく大気の中へ霧散してゆく。

 ふと気がつくと、僕は襖で仕切られた暗く湿っぽい部屋で仰向けに倒れていた。閉じられたカーテンの隙間から漏れる光は、当てもなく浮遊する埃を優しく輝かせている。僕は体を起こし、目を凝らして部屋の中を見回した。畳の床、閉じられた襖、天井から見降ろす古めかしい遺影、仏壇。人の気配は無いが、まだ火がつけられたばかりの線香が鼻につく芳香を散らしている。さっきまで誰か居たのだろうか。部屋は物音ひとつなく、静寂は仏壇の存在を増幅させ、この場所をどことなく神秘的なものに感じさせていた。僕は立ち上がり、閉め切られていたカーテンを素早く開けると、日光が明々と部屋を照らしだす。うすうす感づいてはいたが、明るみに晒された室内を見てやはりここは見覚えのある場所だと確信した。僕は再び床に座り込むと、絶えず押し寄せる懐かしさを元に深く記憶を辿る。神経を研ぎ澄まし、様々な古い記憶を掘り返してみた。だが、出てくるのはこの場所とは関係の無さそうな記憶ばかり。僕は諦め、この場所に閉じこもっている理由もないと思い部屋を出るため襖を開けた。そして、それが決定的だった、目に入ってきた情景は全てを喚起し、全てを生き返らせた。視界に飛び込んできたのは大きなベッド、ゼンマイ式のオルゴールがついた古い電話、和室に似つかわしくないモナリザの絵画、ここは僕が幼い頃に住んでいた祖父母の家だ。そしてこの部屋は祖父の寝室で、仏壇のある部屋が祖母の寝室だろう。込み上げてくる懐かしさ次第に消え去り、それは古いものを眺めたり、触れたときに感じる、積み重なった時間がその物体や空間に染み付き醸し出す重たげな気持ちに変化していった。ただ時間の経過など感じられるはずはなかった、なぜならここは何年も前に取り壊されているのだから。

 僕は祖父の寝室へ足を踏み入れ、ふと窓の外を見る。すると向かいの道路の少し離れたところに無表情で佇む6,7才くらいの幼い少年がいる。直立不動でどこか悲しげに俯いていたが、その目はしっかりと僕を睨みつけていた。

 次に目が覚めたとき、僕は広い公園の真ん中に立ち呆けていた。ここもどこか見覚えのある場所で、恐らく先ほどの祖父母の家からそう遠くないところにある公園だろう。夕暮れ時なのか、辺りは薄くオレンジ色に染まっており、人ひとり居なければ物音ひとつなく、完全な沈黙に支配されている。そしてそれに抗うように、心臓の音がそっと体の中から浮き出てくるように聞こえてくる。僕は木製の古いベンチに腰を掛けると、何をするでもなく、ただ目の前にある路地を眺め続けた。誰かが通る気がしたのだ。いや、正確に言うならば、それを待たなければならない気がしたのだ。

 時間は刻々と過ぎてゆく。しかし暗闇が訪れる気配はなく、夕日は不気味に遊具を照らしている。落ちる影は完全な無を体現するかのような深淵で、どこか粘り気を含むように黒々としていた。ブランコはまるで固定されているかのようにピタリと止まり、ジャングルジムは酷く錆付き、砂場は寂しげに放置されている。

『風がないからこうも静かなんだ。』

 まるで人々から忘れ去られたかのような公園、微動だにしない世界、絵の中の世界へ飛び込んだようだ。過ぎゆく時間に比例して静寂は増してゆく。これは本当に静寂なのか、僕の耳が聞こえなくなってしまっただけなのではないのか、そんな気さえしてくる。静寂の限界、耐えかねた僕は叫び出したい衝動に駆られる。人が踏み込むべきではない種の静寂、"ここにいるべきではない"と無言のうちに伝える静寂、心臓の鼓動その合間を引き延ばしてゆく静寂。深刻さは増し、色彩は失われ、世界の上下は入れ換わり、激しく回り始める。これは本当に静寂なのか、単なる孤独なのではないのか、いや、孤独だからこその静寂なのか、いずれにせよ己の中にあるものが煩すぎる!!

 霞み、揺れ動く視界の中、振り子がすっと動くようにそれは表れた。老人が子供を背負って歩いてくる。僕はなんとか立ち上がり、ゆっくりと一歩一歩確かめるようにして彼らに歩み寄る。だが老人は僕に対して見向きもせず、水平線を眺めるようにその視線を遠くに漂わせていた。眉間を流れる汗は純真さの証明のようで、眠り重たくなった子供を抱え弾む息には迷いが無かった。

 もちろん僕にはわかる。その老人は在りし日の祖父で、その小さくも安寧に満ちた背中ですやすやと眠る子供、それは紛れもなく幼き日の自分自身。

 涙が頬を伝う。泣くということがこんなにも強い感情を伴うのか、僕はそんなことすらも忘れていたのか。涙は、不条理、不安、後悔、様々な感情が飽和して体から押し出されるように溢れだす。照りつけていた夕日は波が引くように夜空へと還り、涙は僕を飲みこんでゆく。

『一人は寂しい。』

 あの日の僕は祖父母の家の前で立ち尽くしている。憎しみに満ちた、今にも泣き出しそうな顔で、意識だけの存在である僕を睨む。『そんな顔で、そんな目で見ないでくれよ、君はなにもわかっちゃいないよ、これは君の『末来』じゃないか、もういい加減同じものを見ようぜ、ここから先は任せてくれよ。』

 彼女は屋上の中心にある古いベンチに腰掛け、大きなあくびをするとその腕で顔を拭った。そしてあくびを引きずったかのような、どこか間抜けな調子で語りだす。

「泣くって行為はさ、やっぱ大ごとなんだよね、ただ涙が流れるだけなのに、それが自分自身の制御下にないんだから。」

「うん。」

「感情が込み上げるだけで制御できないものがある。」

「うん…。」

 辺りは真っ暗だ、出入り口の扉だけが赤い照明に照らし出されている。錆付いたノブがゆっくりと回り、ドアは開く。しかしここへは誰も入っては来ない。ただ微かな風と、線香の匂いだけが舞い込んできた。さよならは何のためにあるのだろう、なぜさよならを言わなければならないのだろう、また会えると思いたいから?もう会えないかもしれないから?言葉だけでも、上っ面だけでも同調したいから?

「過去にさよなら。」

「過去が今にさよなら。」

 もうこれで抽象的なものは何もない、ひとつとして記号などではない、全ては一致を見る。

ソドムとゴモラ

雨が降ってきたな、そう思って傘を開く、耳にはイヤホン。

車のヘッドライトは少しだけ大げさに雨を照らす傾向がある。実際はそんなに降っていないのに、その灯りは降りしきる雨を直線的に、地面に刺さるように直進しているように見せかける。鋭利ですらある。

音楽を聴いていれば雨が傘を叩く音など聞こえない。バラバラバラバラと鳴るあの音はやっぱり好きにはなれない。だから音楽を聴いているというのに、帰りついた頃にはいつも以上にびしょ濡れになっている。「濡れるからきをつけろよ」という警告音みたいなものなのだろうか、バラバラ鳴るあの音は。音楽と傘の角度の関係性....。

「雨が降り始めたときっていい匂いするよね」このセリフはきっと複数人から、複数回聞いた。果たして本当にそうだろうか?埃の匂いなのに?雨で地面が冷えるとなぜか立ちこめる土埃の匂い。埃っぽくない場所で埃の匂いがするといい匂いだなって思うのだろうか。

コンビニ袋を傘の柄にかける。両手を塞ぎたくないからそうしているのだけどやっぱり重いからって途中でそれをやめる。濡れること以上に手が塞がるというのはかなりのストレスになる。

鳥の鳴き声が聞こえると、雨がやんだのかと思ってしまう。それで窓を開けても、だいたいは変わらず降り続けている。

ブライアン・イーノを聴きながらだと雨音も穏やかなものになる、そう聞いたことがある。これが環境音楽の効用だと、平穏が訪れる音だと。それは本当か、無感情とセンチメンタリズムのギリギリのラインを攻める音がブライアン・イーノ。彼の音楽はビートが無いから自然の音に溶け込む。溶け込むけれど、感情はやっぱり聴いていないときとは違う。言いたいことはわからない。

創作「夕暮れと焼き肉」

「ゴミ、出してきて。空き缶。」

「え?空き缶の回収は昨日だったんだけど。」

「ええ?ならそこいらのテキトーなとこに捨ててきて。自販機の横にあるゴミ箱とかにさ。」

「やだよ….。」

「ああ?いいじゃんよ別に、そうしなきゃ片付かないんだって部屋が。」

「あー、はいはい。わかりました。」

ぼくはトートバッグに空き缶を詰め込み、素足にサンダルをひっかけると鍵も閉めず家を出た。

夕暮だ、暗闇が敷かれてゆくように、夕日が手を引かれて消えてゆくように、辺りは音もたてずに暗くなる。いや、さっき夕焼け小焼けが流れていたっけ。今日が終わる。月曜日が迫る。つまりまた明日から学校というわけ。姉ちゃんは明日有給を使って仕事を休むと言っていた。ズルイ。

空き缶をガツガツとゴミ箱へ放りこむ。パンパンに膨らんでいたトートバッグはぺしゃんこになった。

「ジュースが飲みたいな。」

今空き缶を捨てたというのに缶ジュースを買おうとしている。やめておこう、怒られる。

風が生ぬるい、心地よい、予想通りだ。きっとそうだと思っていた、外はきっと心地よいって。月曜日からの1週間を耐え抜く力を蓄えるためにも、日曜は極力家でじっとしていることが多いけれど、日が暮れるまでベッドやソファの上でだらだらとしているというのも、それはそれで虚しい気分になる。だから姉ちゃんに空き缶捨ててこいと言われたときは散歩の良い口実ができたな、と思った。口では「えーっ」て言っていたけど。

気付くと10分くらいは歩いていただろうか。何を考えていたんだっけ、あ、そうかハルカに彼氏ができたってこと考えていたんだ、つれぇなぁ、あんな可愛い子がガラの悪い筋肉バカの野球部野郎と付き合うとは。絶対あとで後悔するだろ、汚点だよ汚点、人生の汚点!女の子なんてみんな文系の地味な男と付き合ってりゃいいんだよチクショウ。運動ばかりしている人間は何を見るってんだ、何を感じるってんだ、何に気付くってんだ。あいつらいつも同じものしか見てないじゃないか。帰宅部を舐めないで欲しい、有り余る膨大な時間を思索に費やしているんだ、過去も今も未来も全部1歩上から見ているんだ、見ようとしているんだ、1本道をどれだけ早く走りぬけられるかしか考えていないあいつらとは違ってぼくは森を抜けなければならないんだ。

イライラにはカルシウムがいいんだっけ、ぼくは行き着いたコンビニで250ccパックの牛乳を買うと店を出て駐車場の脇に腰を下ろす。ストローを抜き出し、パックに差し込む。しかしストローがいまいち伸び切っていない気がした、沈み込みすぎている。ぼくはもう一度ストローを抜き出すと、先端を口に咥え反対側を手で摘みグググと強く引っ張り、再度パックに差し込む。「あんまり変わんねぇや。」

子供2人が目の前を、大きな声で笑いながら通り過ぎてゆく。日は完全に沈んでしまった。街灯が冴えない光を気だるく散らす。牛乳は1分で飲み終わった。あ、母ちゃんからメールだ。「今夜は焼き肉です。」

牛乳飲んで焼き肉食べるのか、牛ばっかだな、牛。帰るか。

虫が鳴いている、空は夜でも晴れている、帰らなきゃ、明日って月曜だっけ、寝たくねぇなぁ、やだなぁ、焼き肉、はやく食べてぇなぁ。

怒りはぶつける為にある

前回に引き続きまた音の話である。

 

 これは僕が横浜のアパートで一人暮らしをしていたときの事だ。有り余る時間に束縛の無い部屋、その頃の僕は「夜に遊んで朝に寝る」という大学生の義務を抜かりなくこなしていた。そんな日々の、ある日の朝。本日も任務完了だと意気揚々と布団に潜りこむ朝7時だったが、その僅か1時間後に壁を破壊するかのような打撃音によって飛び起きる。そしてワケもわからぬまま耳をつんざくチェーンソーのような音にしばらく茫然とするのだった。ハッとした僕はなんだなんだなにごとだと玄関を飛び出すと、即座に視界に広がる無垢な景色と熟練風味な作業員の存在によって隣の部屋がリフォーム作業中なのだと知った。

 勘弁しろよ、僕はこれから寝るんだよ、この生活サイクルは大学生の務めだろう、義務だろう、それもわかっちゃいないのか。僕は母に電話する。こういうときは母に電話と相場が決まっているのだ。特に男は。

 あ、もしもし母さん?あのさ、隣の部屋がリフォーム工事でうるさいんだよ。朝8時から騒音撒き散らしてさ、ん?それくらい我慢しろ?あんたが入居する前もそうやってリフォーム入って誰かに迷惑かけたって?いやいや、それとこれとは別ですよ。だってこんな早朝からガチャコンガチャコンされたら大学生の義務が果たせませんって。まさか夜に寝ろって言うんですか?

 

 これは僕が実家でダラダラとした悠々自適な生活、言いかえると、大学生の義務をしっかりと果たしていた日々のとある朝のこと。「夜に遊んで朝に寝る」今日もお勤めご苦労様ですと僕は朝7時に布団に飛び込んだ。だがその1時間後、高速で回転する刃物が小石を弾き飛ばす「チュインチュイン」という音と共に甲高い2ストロークエンジンのような騒々しい音によって僕は飛び起きた。なんだなんだなにごとだと窓まで駆け寄りカーテンを開ける。すると、近所のご老人方がその折れ曲がった腰に似つかわしくない暴力的なきらめきを所持していた。草刈り機だ。草刈り機でせっせと除草作業をこなしていたのだ。しかも皆して「本当はやりたくないんだけども草が伸びては困るしなぁやれやれ」といった具合の表情をしている。

 ふざけるな、こっちは大学生のキツイノルマを日々こなしているんだぞ。こんなことで眠りを邪魔されてたまるか。僕は母に相談しようとリビングへ向かった。こういうときは母に相談するのが一番と相場が決まっているのだ。特に男は。

 あ、母さんおはよう。あのさ、隣のアパートの庭、草刈り機の音がうるさすぎて寝れないよ。苦情言った方がよくない?え?みんな老人なんだからこういう作業は朝の涼しい時間にしないときついって?いやでも僕には義務が…ん?大人になれって?ええ?

 

 隣人が大人数で騒ぐなどしてうるさければ壁を叩くなりピンポンして苦情を言うなりすれば良い。雨風がうるさければテレビに向かって罵詈雑言を浴びせればよい。でもリフォーム工事や草刈りの騒音はどうしろというのだ。仕方がない?我慢しろ?もう大人だろ?いや、それはわかる。わかっている。しかしその正論は僕の抱える怒りのやり場をどこか知らないところへ消し去ってしまうのだ。知りたくない、朝の騒音より自分の怒りの方がよっぽど理不尽なのだとは知りたくない。いや、とっくに知っていたけども、理解はしていたけども、やり場の無い怒りはどうすればいいんだ?まるでウルトラマンによって家を壊されたような気分だ。

「怪獣がいたんだ。たまたま足元に君の家があってね、仕方なかったんだ。じゃなきゃやつらを倒せないだろう?我慢してくれよな」

冬はつとめて。

 

 どうも冬になってからというもの、毎朝4時~5時の間に必ず目が覚める癖がついてしまった。この冬に限って言えばのことだが、今のところ朝まで一度も目覚めずにぐっすり眠れたという記憶がない。理由ははっきりしている。寒いからだ。

 僕は毎朝4時半ごろにいそいそと起きてはピッと暖房のスイッチを入れ、トイレへ行く。そして凍りついたように冷たい朝の空気が再び僕を布団に潜らせる。

 タイマーを設定しておけよ!そう思われるかもしれない。実際家の人にもそう言われた。だが僕の部屋の暖房は低スペックなので、タイマーは毎回設定しなければならない。それが非常にめんどくさい。起動タイマーの設定なんて1分もあれば済むことではあるが、毎晩寝る前にそんなことをするくらいなら朝寒くて目が覚めたほうがマシかなと思ってしまう。

 Twitterには何度か書いたが、冷暖房の「ゴーッ」という排気音は眠気を誘う。それはどこか街における朝の喧騒にも似ている。人や車、電車や、天気が、草や木が立てる朝の音。都会の音。僕は東京に毒されているのかもしれないが、それらの音はずっと昔から今の今まで途切れることなく連なっている日々を、営みを証明するものであり、ある意味では「自然」の一種でもあるように感じる。都会ならではのインダストリアルなサウンドも僕にとってはとてもナチュラルなものなのだ。

 確かに毎日早朝に暖房のスイッチを入れるのは面倒だし、なにより寒くて息を吸う度に肺が凍りつきそうになる。そのことが安定した眠りを阻害している。しかし、僕はきっとこの暖房の音と実際に街が動き出す音が重なって区別がつかなくなってゆく過程が好きなのだ。朝のまどろみの中ではっきりとは自覚できないが、きっとそうだ。そうして僕の意識は朝日と共に街へと歩みを進め、混ざり合い、再び眠りの世界へ引き寄せられる。アラームが鳴るまでは。

評判の弊害

 ある日、僕はふと映画が観たいと思い、某大手レンタルショップへ立ち寄った。ある程度は何が観たいか、というものが自分の中で決めてあったというか、既にイメージがあったので、棚からいくつかの映画を手に取り、パッケージや裏面をまじまじと眺めては選定に取り掛かり始めた。

 迷うこと数分、2本借りる、ということは決めていたので、候補の4作品から2つに絞ることとなった。4本全部借りればいいじゃないか、と言う人もいるかもしれないが、映画は気分が乗らないと観る気がしないものだし、途中で寝てしまう可能性も考えると、週に2本の鑑賞が限界であると感じている(過去毎日1本観ていた時期もあるが…)。借りた映画を観ることなく返却するというのは、その時の「映画を観たい」という気分にお金を払っているようなものだし、買っただけで読むこと無く積んでゆく本に近い感覚がある。むしろ返却しなきゃならない点ではもっとたちの悪いものだ。300円程度だとしても、お金をそのようなことで無駄にしてはならない。

 なかなか観る映画を絞りきれない僕はスマホを取り出し、アマゾンや映画のレビューサイトを漁り始める。本当はこういうことしたくないんだけどなぁ、と考えながらも候補である作品の評判を眺める。すると、案の定というか、解りきってはいたが「気分的にはこの作品に気持ちが傾いていたけど、評判はこっちの作品のほうが良いなぁ…」という、さらに捻じれてややこしくなった状況に追い込まれた。「自分の勘vs世間の評判」というわけだ。

 「世間の評判」というのはあまり好ましいものでもない気がする。近年はボロ小屋みたいな佇まいの、入るのもはばかられるような飲食店でもネットにレビューが掲載されていたりする。つまり、実際に行かずとも「おいしい」「まずい」「サービスが悪い」「つまらない」などといった情報が事前にわかってしまい、「自分の感性」に当てはめて物事を選ぶのではなく、「世間」に合わせて物事を選んでしまっているのだ。

 お金を払う以上誰しも失敗はしたくないものだし、それを事前に防ぐというのは悪いことでもないのだが、なんでもかんでも「即効性」や「効率」を求めてしまうことにふと、何とも言えぬ嫌悪感を覚えてしまう。

 僕はとりあえず、レビューサイトで最も評判が良い作品一つと、自分の今の気分に最も即していると思われる作品を一つ選び出してレジに持っていった。要するに間をとったわけだ。

 また返す時に、今回は選ばれなかったものの、候補だった別の作品借りようとも考えたが、来週の自分がどんな気分かなど、想像もできないので、やはりまた同じように迷うのだろうし、そういう意味では一期一会的な感覚として絶対に妥協はできないのだ。

(小説)ST∃M 『これは君の日々 3』

 

1.

 とても綺麗な三日月だった。そして、とても強く輝いているせいか、「月」本来の形を示す丸い影がうっすらと浮かび上がっていた。わたしはその影をそっと、三日月の鋭利な先端を結ぶように、弧を描くように指でなぞる。けれど、できあがったその形はどこかいびつで、綺麗な円形とはならなかった。

 

2.

 乾ききった冷たい風の吹き荒れる季節だというのに、わたしはその夜心霊番組を見た。番組の中で芸能人たちは、真夜中の廃墟へ潜入し、霊の存在を証拠づけるその瞬間を捉えんとするが為に恐怖心をねじ伏せ、悲鳴を上げながら撮影に挑んでいた。そして、芸能人の主観カメラや設置された定点カメラは、誰もいないはずの部屋で不気味に響きわたる奇音や不可解な現象を映し出す。

 いつのころからか、心霊特集のテレビ番組を見たところでそれをお風呂や寝るときに思いだして恐怖に悶えるという経験はしなくなった。わたしはその日も、寝る前にベッドの中で先ほどの廃墟のことを考えた。あの暗く湿った荒れ果てた空間、勝手に開くドア、地下に溜まった水、謎のラップ音、横切る影、出所のわからない視線。さまざまな恐怖分子が廃墟を構成していた。ただ、ひとつ気になるのは、今こうしてわたしが寝ようとしているときも、あの廃墟はちゃんと存在しているのだろうか?ということ。芸能人がいなくても、カメラが無くても、誰も見ていなくても、ドアが勝手に開いたり変な音が鳴ったり物が勝手に動いたり、月明かりの下に人影が揺らめいたりするのだろうか?そんなことを考えていると、廃墟という空間の存在がとても疑わしく感じられた。

「廃墟ってさ、誰かがふとその存在を思いだしたり、その場所に行ったりしたときにだけ存在が発生したりして」

 

3.

 祖母はこの頃寝てばかりになった。今も窓際の座椅子に座り、わたしの名前を切れぎれに呟きながら、こくりこくりと眠っている。

「お母さん、おばあちゃんはどうしてこんなに寝てばかりなの?」

「おばあちゃんはね、夢を自在にコントロールできるのよ」

「夢の方が楽しいから寝てばっかりなのね」

「そう。おばあちゃんももう90歳だからね、現実がつらいのよ」

 食事中、祖母は言う。「夢はつらい」

 祖母の言う「夢」とは、どっちの世界のことを言っているのだろう。祖母にとっての現実はどちらなのだろう。

 

4.

 思いだすだけで、今この時や、未来を擦り減らしてしまうような酷い過去。思い出というフィルターをもってしても美化されない酷い過去。そんなとき、夢は時系列を乱し、混沌によって苦痛を根っこの部分から消し去ってくれる。しかし、時にはより強い印象として、心の奥底までその浸食を進めてきたりする。

「それでも、可能性や多様性という意味では現実よりマシなのさ。嫌なことがあったんだろ?早く寝ろよ」