縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

白球を追いかけ、ウナギを頬張る。

 「夏が来たな」と思ったのも束の間で、あとひと月もしないうち9月になり秋が顔を覗かせる。秋が来ればあっという間にクリスマスが来て、年末を迎えてまた年を取る。今年は何をしたっけ?今年も何もできなかったんだっけ?そんなことを今のうちから考えてしまう。だが、まだ夏は続くのだ。甲子園すら始まっていないじゃないか。

 目覚めと共に耳をつんざくのはけたたましい蝉の声、あくびをしながら付けるテレビからはブラスバンドの気怠い応援、ピッチャーの真剣な眼差し、バッターの横顔、チアリーダーの嘘くさい笑顔、そして金属バットが球を弾き、カキーンと響く気持ちの良い音。白球は空高く舞い上がり、入道雲を突き破るかの如くだ。熱いぜ、これが青春なのか、嬉し涙も、悔し涙も、僕らの人生にそんなものはあったのだろうかって。白球を追いかける?僕はなにも追いかけたことがない。部屋のクーラーはゴーっと音を立てる。これもまた心地よい夏の音。それは点火スイッチの押された火葬場の、遺体を焼く音と似ている。そしてまた眠くなり、目を閉じる。

 散らかったデスク、やかましい電話の声。無駄に強くEnterキーを叩き、一息ついてニュースを見る。トップページには甲子園の速報。しかしもう甲子園なんぞに興味はない。学生の頃みたいに、あんな自堕落が無ければこんなスポーツ見やしないのだ。イライラが募り、それを落ち着けるためにアタマの中でクラシックを流す。J.Sバッハの平均律クラヴィーア。お世話になっております!承知いたしました!とんでもございません!申し訳ございません!失礼いたします!そんな時でも平均律クラヴィーア。エレガントなオフィスを脳内で演出。早く帰りたいの以外の感情が消える。

 ここ最近、短いスパンで2度もウナギを食べた。1度目は浅草橋のお店。奮発して3500円の上を頼む。僕はカウンター席から寡黙な主人がウナギを捌くのを見る。ウナギはスライスされてもなお、ウネウネとしていた。気持ち悪かった。しかし出てきたものは当然美味しそうだったし、食欲をそそるものだった。

「頂きます!!」

 ものの5分で食べ終わる。え?これで終わり?これただの焼き魚だよね?確かにおいしかったけど40分待って5分で食べ終わって3500円?お店を出るころは損をしたような気分だった。何かが満たされることなく、財布だけが軽くなった気分だった。

 父の里帰りについてゆく。九州の宮崎。やることねぇな、そう考えていたとき「ウナギ食べたくないか?」と父の声。きたぜ、2度目のウナギが到来。

「うなぎ定食ください」

そう言って10分もしないうちに料理が運ばれてきた。早い。さっそくタレをたくさんつけて一口齧る。甘い。そして柔らかい。辛目の味付けでバリッと焼く関東風とは真逆だ。これはこれでおいしい。前回の反省を生かして10分かけて食べる。満足だ、なぜならこれは奢りだからだ。

 

17.6.11

 

1.
 近所に建っていた雑居ビルが取り壊されたのはつい三日前のことで、空き地をじっと眺めていると、同じく近隣住民であるフミさんがどこからともなくあらわれ私に言う。
「いやぁ、空が広くなったわねぇ。とっても清々しい気分だわぁ。」
「ええ、まぁ、ホントですねぇ。」
 日曜日の朝、時刻は七時を少し回ったころ、六月、初夏。朝はまだ肌寒いが、ビルが取り壊されたということでいつもより少しだけ広くなった空は青と白のコントラストを強く描き、灼熱の季節がもう目の前に控えていることを示す。
「私はね、もうここはこのまま空き地のままでいいと思うのよ。でもまぁそれは難しいだろうし、ああ!そうだ!駐車場が良いかしらね、うん、駐車場がいいわ。とにかく背の高い建物はいやよ。ところでウミちゃん随分と朝早くから出掛け?お仕事?」
「いやぁ、その逆というか、今帰りで、はは….。」
「ウミちゃんも去年から社会人だし、いろいろ付き合いがあるのはわかるけどあんまり朝帰りは良くないんじゃないの?余計な御世話かもしれないけど。」
 出た、謎の方向転換。今はビルの話をしていたんじゃないの?だからおばさんはいやなんだ、だから女はいやなんだ。昨晩のお酒が残っているままの頭で、親でもなんでもないおばさんの説教を聞くのは御免こうむりたい。ドロン、さようなら。
「私、この後も家で仕事あるので。フミさんさよなら。ではまた。」
 私は再び自宅の方向へと歩き出す。そして先ほどの空き地は、一つだけピースの足りていないパズルのような、少しのもどかしさを私に引き起こした。空き地は町の欠損、けれど、それは暫くの後に細胞が分裂するかのようにして癒える。そうして何かまた別の建物が生まれる。こうやって街は書き換えられてゆく。人の営みは街へと伝わり、地図を塗り替えてゆく。変わるもの、変わらないもの、変えられないもの。私が昼に目を覚ます頃、きっとフミさんはまたも庭でゴミを燃やし、近隣住民から声にならぬ多数の苦情を寄せ集めているだろう。これがこの街の変わらぬ日曜日の風景。それもまたいつか終わるのだけど。
2.
 自宅にたどり着いたのは朝七時一五分。ミネラルウォーターを一気に飲み干して、徹夜開けの乾いた身体を潤す。眠気はまだ来ない。その後自室に戻り、デスクに腰掛け仕事に掛かる。古びた磨りガラスからは澄み切った朝日がまどろみを伴って部屋へと差し込む。外からは鳥の声、車の走行音。今ここにあるのは「私とは関係なく」爽やかな朝。きっとそれは「世界」の為の爽やかな朝。誰かの為ではない、誰かの為の世界などこの世にはないのだ、きっとそうだ。私はただ夏が少しだけ待ち遠しいだけ。もうすぐ蝉の声もここに加わるのだろう。
「ウミ?帰ってきてるの?あんたまたこんな時間になって帰ってきて…その上仕事?もうちょっと考えて生活しなさいよね。」
 母はドアから顔だけを覗のぞかせると、呆れたトーンで私に話す。私はうーんと唸るような覚束ない返事を返し、椅子からずり落ちるようにして天井を仰ぐ。ねぇ、お母さん、コーヒー飲みたい。
 私は母の淹れてくれたコーヒーを飲みながら仕事を続ける。日曜日も仕事?惰性、これは惰性だ。平日誰よりも速い速度で仕事をこなすのも、土曜日に友達と朝まで飲むのも、日曜の朝に仕事をするのも惰性。仕事に於いて私の評判は良い。だからといって今の仕事にやり甲斐を感じたことも楽しさを感じたこともない。すべて私の惰性の範囲でこなせる事柄だから、やるべき事だけをささっと終わらせているだけ。人によってはやるべき事をやらず、ずっと先延ばしにしている人もいる。しかしそれも惰性なのではないか、要は同じこと、逃げ方が違うだけ。
 時刻は九時五十七分。お腹の底から煙が立ち昇るように、そして窓からは眠気が放射状に白っぽい靄となって押し寄せてくる。私はワンデーのコンタクトをべりっと剥がしゴミ箱へ投げ入れ、倒れこむようにしてベッドへ身を投げた。
3.
 浴槽の中で目を閉じて耳をふさぐ。まっくら。そして聞こえる心臓の鼓動。あ、やっぱり私は生きている、そう思えるのはこの時間だけ。この鼓動だけが生きている証拠。すべての根源、理由。裸になって、頭のてっぺんまでお湯に浸かって、目を閉じて耳を塞いで、プリミティブな命の音を聞く。やっぱり落ちつくねぇ、私は声に出して言う。しかしそれはブクブクと泡になって言葉にならない。ここは言葉すらも通じない。だんだんと息が苦しくなる。比例するようにして心臓の鼓動は激しさを増す。ドク、ドク、ドク。それはだんだんとうるさくなって、強く高まる。この音はどこから聞こえてくるのだろうか。耳で聞いているわけではないけれど、それは聞こえる。ドク、ドク、ドク。止めてやろうか?この音を。そうしなければ、完璧な静寂は訪れない。それはいつの日か、私の最後の可能性。
4.
 時刻は十五時を回った。テレビにはゴダールの映画、延々と続く交通渋滞が長回しによって映し出されている。

『ウィークエンド』

 そうだ、この映画のタイトルは『ウィークエンド』。シネマスコープによる濃い色彩、突如流れ始め、突如途切れる音楽。哲学、薬物、革命、ルイスキャロル、殺人、カニバリズム。それは混沌。道徳は吹き飛び、善悪は己の判断にて。ニーチェ善悪の彼岸?これぞあるべき姿?奴隷道徳は消え去って、原始の世界をもう一度。ダメだ、眠すぎてもう意識が持たない。マルクス...マルクス....。
5.
「ウミ?おきなさいよ。ご飯だから。ウミ?」
 母の声で目がさめる。ああ、やはり目覚めは母の声に限る。母の声がしたから、私はこの世に生まれたのであって、いつの時も目覚めは母の呼ぶ声が良い。そうして毎日私はこの世に生を享ける。
「今行くよ。」
 私は目をこすりながらリビングへと向かう。時刻は十九時三十分。父が料理の乗った食器をテーブルへと運んでいる。テレビではお笑い芸人が下らない話を下らない視聴者に向けて話していたので私も下らない態度でチャンネルを変える。BSのニュースは北朝鮮がミサイルを発射したと告げる、大洗の原子力研究所で数名が被ばくしたと告げる、日本共産党中央委員会共謀罪はメールや通話なんかも監視されるのだと告げる、巨人が十三連敗したと告げる、韓国のサッカーチームが試合中に暴動を起こしたと告げる、明日は三十度を超え、暑くなるのだと告げる。私はそれらをぼんやりとした靄のようなイメージとしてしか捉えられない。食べ物を咀嚼することもイメージの精度下げる。ああ、いつだってささみのフライは美味しい。でもそれ以上にこの日曜日の終わりという事実だけが、私の直面している深刻な問題であり、それ以外の出来事は何事も世界を突き動かす事はできない。母はミニバレーの参加人数が減っていると嘆き、父はレクサスのCMを見て欲しいと呟く。私はコーンスープを啜り、なんて美味しいのだろうと思う。小さな幸せ。しかしそれも明日からの憂鬱によりすぐに消し去られる。料理は全滅。ミサイル飛んでくるかもしれないけど、私は明日仕事へ行くだろう、被ばくの症状に怯える人たちの恐怖は想像もつかず、スポーツなんてどうだっていい。私の中で世界など消化できない。テレビは何かが変わることへの不安を告げ、私は何も変わらぬことへの不安を抱える。今できることは残り少ない休日、それを貪るようにして喰い尽し、ただ未来へと思いを馳せることだけ。
6.
 時刻は二十二時四十三分。時間は沈黙のままに過ぎ去る。私はコンビニまで出かけビールを買うと、それを片手に近所の公園へと向かった。ベンチから見上げる星々はちかちかと瞬き遠い過去の光を地球に届けている。明日に向かいつつある今この時と、過去の瞬きが交差して、その境目がアルコールによって曖昧に溶ける。風が吹いて、静かな街に電車の音が轟く。願わくば、明日は私の感じたことのない風が吹けばいい。

生物であるから歩く

先日のことである。駅の改札を出た僕は、すぐ目の前にある横断歩道を渡ろうと駆け出した。普段は人通りの多い横断歩道であるけれども、自分が渡り始めた時点で既に歩行者は居らず、青信号は間もなく点滅へと変化しそうな様子であった。

その途中の事である。

横断歩道の中腹で、僕はとある中年の女性を追い越した。彼女は右足を引きずりながら少しずつ、少しずつその横断歩道を渡ろうとしていた。その歩幅は僅か十数センチといったところで、既に信号機の点滅が開始された横断歩道をその時間内に渡りきるのは到底無理な事に思われた。「大丈夫だろうか」そう思った僕は、横断歩道を渡り終えた後も彼女の姿を目で追い続けた。直後、信号は赤に変わるが、案の定彼女はあと4,5メートルの距離を残して未だ横断歩道を渡り続けていた。信号待ちをしていた車はゆっくりと前進を始める。

「クラクションを鳴らされるんじゃないだろうか、そうしたら彼女は心を痛めるのではないか」

僕は彼女の心情を思うと少し辛くなった。

しかし車はクラクションを鳴らす事などなく、彼女が横断歩道を渡りきるのを待つ。

僕は安心して彼女から目を離し、そもそもの目的地である銀行へと向かった。

銀行で手続きを終えた僕は帰路につく。すると先ほどの女性が僕の前を歩いていた。相変わらずゆっくりと、そして少しずつ前進していた。僕が手続きに要した時間は約5分程度、それにも関わらず彼女は普通の人が僅か数十秒で歩ききってしまう距離を未だ悪戦苦闘しつつもがいていた。そのペースは先ほどよりも明らかに落ちている。それでも彼女は右足を引きずりながらどこかの目的地へと歩く。

 

生物が生物たり得る意味、それを考えた。

僕が彼女の立場だったらどうだろうか、きっと歩かないだろう。動かない足に対する引け目、苛立ち、他人の視線、人さまにかける迷惑…

きっと彼女も、最初はそうだったのではないかと考えた。しかしそんな事は知らない、当の本人しかわからない。ただの徘徊癖かもしれないし、本当は歩きたくもないのに自宅に居場所がなかったり、一人暮らしで歩かざるを得ないのかもしれない。

 

しかしどうであろうと、人は、動物は、虫は、生物である以上、歩かねばならないのである。それはもはや宿命とも言える。全ての景色も、全ての友情も、全ての感情も、自ら歩いたが故のものだ。

 

自己完結の果て

 これは今朝がた、某SNSでも書いたことなのだが、通勤中に「仕事に行きたくない」「このままどこか行きたい」と感じるのは誰にでも良くあることで、皆思っていることである。ただ、それはなかなか実行に移せるものではなく、人々は群れをなして仕方なく職場へと向かわざるを得ない。

 

 ただここでひとつ気をつけておきたいのは、そういった気分を指して「これが人生だ」と思っては駄目なのではないかということ。なんとなくそれを許容してしまったら己の人生が労働に染まってしまうのではないか、そんな不安と懸念が僕にはある。

 

 悪意だけを真実とした行い、たとえば通行人を無差別に切りつける通り魔、その犯人が心の中に潜め隠しているものは「仕事に行きたくない」「このままどこかへ行きたい」という気持ちとなんら変わりない気がする。対話から孤立し、自分自身だけが世界のすべてとなったとき、犯行は行われるだろう。そして人は死ぬ、僕は仕事をサボる。これは凄まじい程に高純度な真実。なぜなら自分だけの真実であるからだ。他人が向ける視線によって歪む秩序など何ひとつ無い。全ては己の中だけで完結する。

 

 お金とは労働の対価、いや、我慢の対価。友達を、家族を、知り合いを安心させる為の我慢、その対価。だがこれは自分が決めた価値ではない。

 

 ああ、早く今日が終われと祈りの姿勢でデスクに腰掛け、待ちに待った束の間の休息は、再び抱え込む不安への準備期間となり、明日もまた、眩しい朝日を憎悪するのである。そんな僕はニートよりも無職よりも死刑囚よりも、世界の誰よりも不真面目である。

つまらない日々

日々はつまらないというのに、瞬く間に過ぎてゆく。まるで同じ景色が続く長いトンネルの中を物凄い速度で走りぬけてゆくかのようだ。では、つまらない日々を突き動かすのはなにか、トンネルの崩落をもたらすものはなんだ、出口の光は本物か?

そもそも日々とはなんだ。単調な何かのようなのに、その流れは強烈で僕らをいとも簡単に飲みこんでゆく。やっとの思いで見つけたその景色もその場所も、心地よい昼寝にでもさらわれようものなら、目が覚めたときそこは既に地平線の果てに流れ去っている。土曜日、日曜日という束の間の安息だけではこの流れに逆走し、爪を立てそこに踏みとどまることや、痕跡を残したりはできない。そして人は生きることへの焦燥を失い、ふとしたときに蘇る遠い日に消えた感覚だけを懐かしみ、それは美しかったのだと噛みしめる。

つまらない日々に抗えるというのなら、僕はその足掛かりを宝物のように思い、かき集めてゆくだろう。今それができているのかはわからない、だが常にその瞬間の為だけに靴底を減らしてゆかねばならないと、その覚悟に迷いなど無いのだと、血が出るほどに唇を強く噛みそれを証明する必要がある。しかしその足掛かりとはなんなのだろう、知らない誰かの写真だろうか、ふと見上げた高層ビルの灯りだろうか、電車の窓から覗く景色か、一斉に飛び立ってゆく鳥たちか、ドストエフスキーの小説か、プルーストの記憶か、ニーチェの諦めか、グールドの奏でるゴールドベルクの旋律か。

朝が来れば昼になり、そして夜が終わればまた朝が来る。変わるのは気温と明るさと、他になんだ?それだというのに、日付はカチッと音をたてて切り替わり、1が2になり、3になる。地続きであるはずの日々は数字を身に纏うことで人々に同じ世界が続く非情を叩きつける。

これが人生だ、と嘆くのは間違っている。過ぎ去る単調な日々の中で歳を重ねてゆくことは、そんな簡単に、ただのため息として片づけて良いものではない。月曜日が憂鬱なのも、水曜日が気だるいのも、それは人生を左右する重大な問題なのだから、その嘆きはトンネルが一向に終わる気配を見せていない証拠なのだから。

桜の季節に、知らない人々の中で知らない場所の知らないどこかを踏みしめるかのような気持ちは、絶対に手に入れられないものを掴める予感の中だけに存在する。あくまでそれは予感だけなのであって、気配すらも遠く、実態は感じられもしないのだけど、遥か先のいつか、そのとき何をすべきか、その大きな覚悟と決意と手繰り寄せるべきものの答えがある、いや、そうであって欲しい。だったら今日の寝る前に、少しだけ今自分がトンネルのどこにいるのかだけを考えてみたい。

小説『夕焼けは無く』1話〜6話

1.

「雨が降るかも。」

マコがそう言った数分後、その予言は見事実行に移された。眼が冴えるような11月初旬の空気、息を吸えば食道や肺がスッと冷えてどこか心地よい乾きが体を満たし、そしてそれを補うかのように雨が滴り落ちる。開け放たれた窓から風は無い、ならば窓は閉めない方が良い。室内にいながら雨宿りをしているような気分だ。

「雨が降ると、ザーって音がするじゃない?ま、今がそうなんだけど。」

マコは机に肘をつき、気だるそうに灰色の空を眺めている。

「あれって、雨が屋根や草木に当たる音なのかな。」

後ろの席に座る僕は、そうなんじゃない?と特に考えもせず反射的に答えた。教室には僕たち2人以外誰も居なかった。

「だったらさ、砂漠に雨が降ったら、どんな音がするの?なにも音がしないの?」

「そんなこと、考えたこともなかったよ。」

彼女はなにも答えない、暫しの沈黙。一秒毎にコチコチと鳴る時計の音は、僕に会話の続きを促しているかのようだった。まずったな、少しだけそう思う。

「まあ、濡れた地面に雨が落ちればボツボツと音を立てるかもしれないけど、降り始めはとても静かなんじゃないかな。僕の勝手な想像なんだけど。」

雨音は一気に強まる。しかしそれは、この雨が長続きせずに、すぐに止んでしまうものなのだと僕に予感させる。まるで夏のスコールだ。

「激しくもさらさらと降る雨…。」

彼女はそう言うと突如立ち上があった。椅子は追い出されるようにガラガラと音を立てて後退し、僕の机にぶつかる。ダンッという音がしんとした教室に響き渡った。

「それはとても、とても。」

「美しいんじゃないかな?」

肩まで伸びたマコの黒い髪がほんの少し風に揺れた。

2.

「あらあら、誰もいない教室で二人はなにをしているのかな。」

サキはにやりとした笑みを浮かべ教室の後ろに立っていた。

「あんたを待ってたんでしょーに。」

サキが合流し、教室を出た僕たち三人は職員室を目指し薄暗い廊下を歩く。マコとサキは昨晩近所で起きたコンビニ強盗の話をしている。犯人は未だ逃走中で、しかも現場は二人の家の近くということで、おいおい夜に買い物できないじゃないかと嘆いていた。僕は会話に加わることなく、彼女らの後ろを歩きながら艶のあるマコの髪や、健康的に揺れるサキのポニーテールを眺める。飽きない光景だな、と思う。それと同時に、マコの家の近くの公園を思い浮かべてしまった。緩やかな、長い坂道を登った先にある小さな公園。僕は週に一、二回、夜になるとマコと二人でそこへ行く。そしてベンチに座り木々の隙間から覗く高層ビルの夜景を見ながら喋ったり黙りこんだり、お茶を啜ったりする。サキはこのことを知っているのだろうか。

雨が降り始めて間も無いが、廊下の空気は一変していた。塗料で塗り固められ、ツルツルとしたコンクリートは素早く湿気を含み、急に陰った日差しはどこか陰鬱な薄暗さを廊下にもたらす。僕はこの空気が嫌いじゃない。人っ気の無い校舎、どんよりとした空を写す踊り場の窓、渡り廊下では水しぶきをあげて走る車の音、遠くから「さようならー」という声が聞こえる。

「用事ってなんだろうね?」

マコは少し楽しそうに、ちらりと僕の顔を覗きつつもサキに訊く。

「さぁ。廃部のお知らせとか?」

「うわ!ありえる!!」

サキがコンコンとドアをノックする。うーい、という中年男性の声が聞こえ、彼女はガチャリとドアノブを回す。

「タカハシ先生、いますかー?」

3.

「これこれ、これを渡そうと思ってな。」

職員室に着くと、顧問のタカハシ先生が僕ら三人にプリントを渡す。そこにはこう書かれていた。

『高校生環境絵画コンテスト』

「これ、2年のお前らだけで参加な。入賞よろしく。」

僕らが所属している美術部に三年生はいない。いるのは僕、マコ、サキの二年生三人と、一年生四人の計七人だ。全員が全員、真面目に取り組んでいる訳ではないが、なんとか細々と平和にやっている。実際のところ、吹奏楽部を除く文化部なんてすべてそのようなものだと思うが、特に用がなくとも毎日放課後に立ち寄ってもよいと思える場所があるのは有難かった。

部室に着くと、一年生のフミカが、「あー!先輩!先輩!」とサキに駆け寄る。もう一人の一年生コウキほ黙々と海の絵を描いていた。

「チナとユリは?」

「今日は休むそうです。」

サキが尋ねるとコウキがキャンバスから目線を逸らすことなく答える。

「そっか。」

「先輩!先輩!今日もゲームしましょうよ!Vita二台持ってきたんですよ!」

フミカははしゃぎつつもねだるようにサキにゲームを持ちかける。

「悪いねフミカ、私は今日これの題材を考えなきゃ。」

サキはヒラヒラとプリントを振りかざし、フミカにそれを見せる。彼女はプリントを受け取ると、「なんですかこれ。」と言いながらまじまじと眺めた。

「えー、つまんな。こんなのやらなきゃいけないんですか。」

「つまんなくても部活として一定の成果は出してかなきゃ部費どんどん削られるよ。」

「そもそも私たちに部費を使う権限無いんですから、削られるとかなんとか言っても何も変わらないですよ。もういいじゃないですか、アニメみたいに放課後だらだらするだけの部活で。」

「もう既にそんな状態だろ。」とコウキが口を挟むと、サキがははは、と笑った。

4.

月曜日の放課後、僕は早めに部室へ行き、土日の間に下書きをしておいた絵に取り掛かる。マコは既に部室にいて、部屋の片隅にある机で肘をつきながら本を読んでいた。

「マコ、あんまり肘をつかない方が良いよ、顔歪むよ。」

「んん?うるさいなぁ。大丈夫だって。」

それっきり会話は途切れ、僕らは黙り込む。三十秒ごとに時計の針がカタリと音を立て、その度に部屋の温度が下がってゆくようだった。


西日が強く差し込んでくる。少し空けた窓からは緩やかな風と吹奏楽部の奏でるトランペットの音が舞い込み、肌色のカーテンがふわりと揺らめく。静かで落ち着いた時間だったが、廊下のほうからは少し急ぎ足の足音、タッタッタッという足音響いてきた。「サキだな。」そう思うと案の定彼女が「やはー」と言いながら入ってくる。

「一年生は集会あるから少し遅くなるってよ。」

「オッケー。」

サキは教室に入ってくるなり足を止め、僕の絵をまじまじと眺める。

「なにそれツイッターの小鳥?」

「いや違うから。」

「じゃあなに。」

伝わらない絵の概要をいちいち説明するのも野暮な気がして僕は一瞬黙り込んでしまったが、こうも首を傾げ不思議な顔で見られたらそうはいかった。

「えっと、空に放ったはずの小鳥が落下してゆく様子。両手でそっと包んでいた小鳥を、ふわりと空に放ったら、そのまま落ちてゆく様子。」

「ええ...。」

サキはうわ、引くわぁ、と言いながら視線だけをこちらに残しマコの元に歩いて行った。

「ねぇ、マコは描く絵決まったの?」

「たった今ね。」

「えええ、どうしよ。なんで?二人とも早くない?私まだなんにも決めてないんだけど。」

サキはそう言いながらも焦る様子は無く、マコの向かいに座ると彼女を真似て肘をつき、にこにこと笑った。

日が短くなってきた、僕はそう思う。静かな部室に夕日が強烈に差し込み、部屋は溶けた鉄のように赤く染まっている。彼女ら二人の影は闇のように濃く、どこかドロリとした黒さをもって部屋を横切っていた。

5.

夕食後、自室に戻ったものの特にやることがなかったので机の上の砂時計をひっくり返し、じっと眺めた。五分間、それを最初から最後まで。よく雑貨屋などで砂時計を見かけるとついついひっくり返してしまうので、ならばいっそのことと思い、先日購入したものだ。何も考えたくないときはこれに尽きる。体感的に早くも遅くもなく、そして何より飽きない。一秒よりもさらに小さな時間たちが粒となり、積み重なり、山となり、時間というものを可視化させてくれる。時間は確かに『流れている』のだと実感できる。

何回砂時計をひっくり返しただろうか、ふと我に返ってスマートフォンの画面を見る。しかし誰からも連絡は来ていない。マコはあの公園にいるのだろうか?僕はベッドに飛び込み、少しそのことを考える。ただ思考は安定せず、物凄いスピードで展開する紙芝居のように、次々と過去や今のこと、そしてまだ訪れもしない未来のことが頭の中を駆け巡る。あーだめだ、僕はそう思い、風呂に入るため部屋を出た。

体を流したあと、再度自室に戻った僕は窓を開け夜風に当たる。室内よりも少しキンとした冷たさのある夜風が、さらさらと体を通り抜け、全身の湿気を吹き飛ばしてくれているようだった。移りゆく季節を直に体感している時、なんとなくじっとしていられなくなる。そうして僕は勢いよく窓を閉め、上着を着込んで外へ出た。

6.

コンビニでピザまんとホットのカフェオレを買い、公園へと続く坂を登りながら食べ歩く。空気はすっかり冬の様相を呈していて、夜の空にきらめく星々やビルの灯り、街灯は乾いた空気の中できりりとした輪郭を持っている。この時期になると、毎年のように、冬は長いから嫌いだと思う。しかし、そうやって繰り返す季節に終わりを感じられずとも、僕らは毎年のように歳をとって、毎年どこかで再度季節を迎える。それは気が遠くなるような繰り返しで、生命の終わりすらも凌駕し、この坂道のように長い。しかし坂道は続く、坂は長い、足が疲れた、休息はどこだ?たとえそれが叶ったとしても、休息を取るということはまた始めなければならないのか?休息とはなんだ?いつか休息は終わるのに、また一歩踏み出さなければならないのに、それを受け入れる余地はどこにある?ああ、なんだかマコに会いたい、声が聞きたい、僕が寂しいときに側にいてくれる彼女が好きだ、じゃあ彼女が寂しいときは?知らない、でもそれを悟ってみたいと思う。だから今日だってこうして夜に・・・。

「ショウちゃん!」

ポニーテールを揺らしながら彼女は走って来る。坂道を力強く蹴って、強く息を吐いて、僕の名前を叫び、僕を立ち止まらせて。

「サキ、どうしたの、こんな時間に。」

「後ろ姿が見えて、ショウちゃんだと思って。」

ゼェハァと息をしながら彼女はいつものように微笑む。

「なんだか嬉しいなぁ、こんな時間にこうしてショウちゃんに会えるの。ちょっとした買い物の帰り道とか、用もなくプラプラしているときにこうして友達に会うのって嬉しい。ショウちゃんこそ何してるの?こんなとこで。」

「いや、特に用事はないよ。たまにこうして散歩してるんだ。」

「へぇ。私はちょっと買い物しててその帰り。」

彼女は相変わらずぜぇぜぇと息をしていて苦しそうでだった。別にそこまで全速力で走る必要もないじゃないかと思ったが、そういったところがサキらしいところでもあった。彼女はちょっと待っててと言うと、坂の途中にある自動販売機でミネラルウォーターを買うと一気に半分ほど飲み干した。

「なんかさぁ、まだ私たちが小さかった頃もあったよね、ここでこうして偶然会ったの。」

「ん?そんなことあったっけ?」

「ええ?忘れたの?私たちがまだ年長さんでさぁ。」

「いやいや、幼稚園児のころなんて覚えてないよ!」

彼女は本当に記憶力が良く、ことあるごとにあの時はこうだったよね、あの時はこうしたよね、と尋ねてくる。ただ僕がそのことを覚えているかといえばそうでないことが多いのだ。

「私はお母さんと一緒に習い事から帰ってたところだったんだけど、もう夕暮れも近いっていうのにショウちゃんがこの坂道をとぼとぼ歩いてて、私が駆け寄って声を掛けたら道に迷ったって!」

彼女は嬉しそうにゲラゲラと笑う。

「ショウちゃんそれまでボーッとした顔してたのに私の顔見るなりグスグス泣きそうな目になって『ここどこ?』って言うんだもん。おかしかったなぁ。きっと私の顔見て安心したんだよ、嬉しかったんだよ!」

こうやって昔のことを話すときの彼女はいつも本当に楽しそうで、たとえ僕がそのときのことを覚えていなかったとしてもつい懐かしいような気持ちになって、一緒になって笑わずにはいられなくなる。それでも彼女は昔のことを思い出すと切なくなると言う。

「楽しい思い出ってさ、そのあと暫くはどこかふわふわしたような気持ちが続くじゃない?思い出しただけでフフって笑いそうになったり、泣きそうになったり。だってそのときの感情をそっくりそのまま簡単に取り出せるからさ。でもその感情はだんだんと薄まってしまって、ついには『楽しかった』というだけの記憶しか残らないの。家族や友達と『あの時はさー!』って話していても、その記憶にしっかりとくっついていた感情はもうパリパリと剥がれ落ちてしまっているっていうか、今となっては本当に楽しかったのか本当に悲しかったのか、それすらもあやふや。」

「一般的には、人間は昔のことを美化するもんじゃない?思い出フィルターだよ。つらい記憶さえも美化しちゃう人がいるくらい。」

「みんなそう言うけど、私はそうじゃないな。思い出は綺麗なものだって思いたいし、実際そうだったのかもしれないけど、その時は必死だったり忙しかったりで特に何とも感じられなかったのに『あの時はこうだったなぁ』ってそれを美しく思うのはなんだか変だよ。やっぱり現在進行形でいまその時が楽しく、嬉しく感じられないと。」

人は過去の出来事にすら願望を抱く。こうであったはずだという過去の出来事。しかし彼女は過去のことは悲しみの中だけにあると言う。

「だから・・・。」

彼女はそこで言葉を区切り、一息置いてから再び話し始める。

「だから私は毎日新しい思い出を求めたい。過去の感情が風化していっても、新しい感情がその虚しさを埋めてくれればいい。」

いつの間にか坂道は登り終えていた。カフェオレは飲み干し、ピザまんは食べ終え、そのゴミすらもどこかへ捨てているのだろう、僕は手に何も持っていなかった。空気は冷えて目の覚めるような鋭さも持ち始めていたが、長い坂道を登ったせいか、意識はぼんやりとして現れ、まるで夢を見ているような気分だ。ただ、そうした空気を誰かと、誰かというよりサキとこうして共有できるのはなんだか嬉しかった。もう少しここでこうしていたいような気もする。目の前には高層ビルの灯す航空障害灯の赤い点滅が無数に見えてきた。公園はもう近い。

「なぁサキ、ここからちょっと歩いたところに夜景の綺麗な公園があるんだよ、今から見に行こう。」

「うんうん、そうしよう!」

 

感情と出来事を埋める言葉

人は喜びや悲しみを感じる時、それをいちいち「言葉」として捉えるだろうか、感情の様々な構成要素をいちいち言葉として捉えるだろうか。

自分が「嬉しい」「楽しい」「悲しい」と感じているとき、なぜ自分がそう感じているのかを根掘り葉掘り事細かに言葉として書き起こしてゆくと、結局は時間を遥か過去にまで遡る羽目となり、生命の根源的要素はおろか、宇宙の起源にまで到達してしまう。例えば、自分が生まれなければその感情が生じる事も無かった訳であるし、それは両親の恋愛や結婚に関わり、そのまた上の世代、知り合うきっかけ、法制度、etc....そして最終的に「ビッグバンによってこの世が誕生したからです」にまで至る。

ただこれはやや不可逆的に思える。要は出来上がった料理はもう食材には戻らないということだ。「今ぼくが嬉しいのは150億年前にビッグバンが起きたことに由来します。」などと言っては物事の前後関係無視も甚だしいし、なにより飛躍しすぎている。生れてこのかた人生に訪れた様々な選択、全身に張り巡らされた神経のように枝分かれしてきたその選択は絶対に辿れない。そんなことをしていたら「タラレバ」は天文学的数値に膨れ上がり、もはや自分の原型など留めることはできないだろう。捨て去っていった可能性にいちいち理由をつけていては年老いて死んでしまうのだ。過去を起点として今へ向かうその全ては語れない。

ぼくはこの点に言葉の限界を感じる。つまり言葉によって感情の「繋がり」を辿ることはできるが、捨て去った選択肢や可能性は語れない。「今の出来事」と「過去の出来事」、「今の気持ち」と「むかしの気持ち」その間には語りきれない何かがある。実は語ることができるのかもしれないが、そんなことをしていては人生が終わる。感情と出来事の間には一体何があるのか、それはわからない。結局は見たもの聞いたものが全てなのかもしれない。だから、今ぼくたちが「嬉しい」とか「悲しい」とか、そんなことを感じているのは「嬉しい」からであり「悲しい」からだ。説明すべきことなどない。