縦裂FNO

俺はポエマー、すべてイカサマ。

新幹線の車内で

新幹線のぬるぬると滑るように走る感じが心地良い。走りに角というものがまるで無い。そうした穏やかな乗り心地は嫌が応にも眠気をさそうものだけど、なかなか寝付けないのは緊張だとか不安だとか、不快な気持ちがもやもやと胸の中で滞り続けているからだ。

 

8月22日水曜日、その日は出張で広島に向かっていた。7時30分発、東京駅始発のぞみ号の車内に人はまばらで、早朝特有の張り詰める静寂は咳払いも不用意に感じるほどだった。僕は行き先の車内アナウンスにすらビクッとして、息をひそめる。

 

発車したあと、すぐに品川を通過する。時間はまだ朝の7時40分、そこに自分はいないが、会社の始業まであと1時間20分もある。つまりはそれまで電話もメールもない、自分だけの時間。寝ようか、本でも読もうか、とりあえず食欲は無くともサンドイッチを食べる。いつもは食べない朝食だけど、今日はいつもとは違うのだから、気分で買ったサンドイッチ。咀嚼はだんだんと不快なものに変わり、眠気は吐き気と区別がつかなくなる。

 

出張は好きではない。理由は単純で自分が不在の間に仕事が溜まってゆくからだ。出張のために欠席連絡をした会議、打合せ、後回しになる事務処理。自分はそこにいないのに、自分の気配や存在をその場所に感じてしまう。いま僕は東京にいないのに、僕が東京にいると思って連絡をしてくる人たちなんていうのもそうだ。それはひどく落ち着かない。そういった余計なことばかり考え、無為に過ぎ行く時間に焦り、9時までは寝ようという決断も遠く置き去りにされてしまった。

 

「お世話になっております、ご査収のほど宜しくお願い致します、進捗のほど如何でしょうか、可能であれば今日中に。」新幹線は物凄いスピードで移動しているというのに、仕事でしか使わない言葉たちがそれを追い越して、僕のところまで飛んでくる。早く返信をしなくてはと、持参したノートパソコンを開き、VPNに繋ぎ、会社のサーバーにアクセスして管理資料を開く。しかしトンネルのたびに通信は途切れ、メモリ不足のノートパソコンはエクセルの起動すら老人の足並みの如く。またこれだ、いつもこうだ、移動中も仕事しますアピールのためだけに持参したノートパソコン、これでは仕事にならない。イライラが募り、額から汗が垂れ、両手で顔を覆った瞬間、

 

「名古屋の次は、京都に停車致します」

 

というアナウンスで目がさめた。テーブルの上にはサンドイッチの後に食べようと思っていたGABAチョコレートと画面の割れたiPhoneがのっているだけ。ノートパソコンはまだリュックの中。スマホアプリでOutlookを見ると未読が16件、着信は2件、時刻は10時少し前。目的地まであと1時間半というところ。

 

今更だよな、と思いながらもようやく現実の世界でノートパソコンを開いた。さっきまで夢の中でも仕事をしていたわけだから、これじゃ労力が2倍じゃないかとか考えながらメールを捌く。お世話になっております、ご査収のほど宜しくお願い致します、注文書を頂けますでしょうか、そんなメールをだらだらと返信しつつ、これからやらなければならない仕事を頭の中であれこれ。しかし具体的にやるべきことが思い描けない。わかるのは、ただただ、やるべきことがたくさんあるのだということだけ。だから小さな見積やメールの返信ばかりする。完成形のわからない彫刻を造るように、ガリガリと外側から仕事を削ってゆく。そうしなければ本当の輪郭は見えてこない。

 

またアナウンスが流れる。広島が近づく。イヤホンを装着してエリック・サティを再生する。僕は何度も何度も腕時計を確認する、待ち合わせの時間が迫る。これから会うのはどんな人なのか、はじめましては気が重い。だから出張は嫌いなのだ。何を話せばいいのか、どんな顔をすれば良いのか、変なやつだったらどうしよう、不安は尽きず、また胃が気持ち悪くなる。しかし大体は杞憂に終わるのだ。今日もそうだろう。はやく東京に帰りたい、そう思いながらパソコンを閉じ、アラームをセットしてまた眠りについた。