縦裂FNO

俺はポエマー、すべてイカサマ。

ヴィクトル・エリセの映画『ミツバチのささやき』『エル・スール』

 

 ヴィクトル・エリセ監督の映画『ミツバチのささやき』と『エル・スール』を観た。観たといっても3回目くらい(エル・スールは4回目くらいかもしれない)で、要するに何度か見返す程には好きな映画なのである。

 ヴィクトル・エリセは1969年に監督デビューして以来、長編作品は僅か3作品しか撮っていない(短編は4作)。寡作にも程があるだろ、と言いたくなるほど寡作。しかしそれだけ映画の完成度は高い。

 まず、映像の美しさという点においてヴィクトル・エリセ監督の右に出る者はないように思われる。写実的な油絵のような、濃く、温かみのある色彩に加え、計算し尽くされた構図はまるで絵画のよう。さらに、2作ともセリフが少なく極めて静かな映画なので、各シーンが持つ美しさがより際立つ。それともうひとつ、言い方は悪くなるが、おそらくこの監督はロリコンだ。というのも、両作品とも主人公は幼くはちゃめちゃに美しい女の子。まぁ宮崎駿みたいなものだと思えば良いのか。しかし、この美しすぎる幼女が作品に神秘的かつファンタジックな雰囲気を与えているのも事実。

 つまり、めちゃくちゃに美しい幼女がめちゃくちゃに美しい構図や色彩のなかで、どこか儚げな絵画のように佇んで、ファンタジックな空気を出しているわけだ。もはや語らずとも「詩的」な映像。すごく、すごく眠くなる映画だけどお勧め。

(小説)ST∃M 『これは君の日々 2』

 

1

11.16 21:03

 またやってしまった、わたしはそう思った。単にコンタクトをつけたままお風呂に入ってしまったというだけなのだが。わたしは湯船に潜り込んで、水中から水面を見てみたいのだ。しかしコンタクトをしていては水中で目を開けることができない。すると、母が突如浴室に入り込んできてこう言った。

 

「いや、コンタクト外したら見えないでしょ。あんた視力0.02」

「べつにいいんだって」

「ゴーグル」

 浴室の照明の光が屈折し、揺らめいている。わたしの髪も踊るように揺らめいている。潜り込んだお湯の中で触る自分の髪は乾いているときよりも少し柔らかく、優しい感じがした。

「心臓の音は揺らめかない」

「音は揺らめかない」

 

2

11.17 17:21

 火事のあったヤニリ町のアパートは、既に新しい住民が入居していた。

「いやー、最近は事故物件とか人気でしょう?私も流行というやつに乗ってみましたよ」

「まぁそうだけども、まさか焼けた部屋のまま入居するとはねぇ」

「これが新しさというものですよ!」

「また火事になってもわからないね」

「メリットです」

 

3

11.17 17:49

「『若草』って言葉あるじゃん」

「あるね」

「あんまり若さ感じないよね」

「わかる」

 

4

11.18 04:16

道路工事を早朝にするのは、単に人がいないからというだけの理由だろうか。日が昇る前とはいえ、ぼんぼりのようなバルーンライトで辺りは昼間のように明るい。水分不足のような顔をした作業員が機械的に同じ動きを繰り返している。工事は、道路を舗装するためのものだった。わたしはゆっくりと足を踏み入れる。熱くやわらかなアスファルトはぐにゃりと沈み込んだ。足を持ち上げると、靴底は黒い糸を引く。何かが溶けている。これはアスファルト?靴底のゴム?わたしは熱々の地面を歩き続ける。

「こら!あんた!ここはまだ地面が熱いから歩いちゃダメさ!」

「おじさんたちは?」

「俺たちゃいいんだべ!」

 振り返ると、作業員たちはみな、体が半分ほどアスファルトに飲み込まれていた。

「あとで彼らに眠気覚ましを買ってあげます。ところでおじさんはなんで左足がないの?」

「地面になっちまっただ」

 

5

11.18 12:21

「ここは来月解体が決まっている」

わたしはそのもうすぐ壊されるという建物の壁に手を当て、目を閉じる。建物や土地に記憶というものがあるのなら、この建物が持つ記憶は、まもなくバラバラに崩れ落ちてしまう。

「誰もが祝福されて生まれてくる」

「でも自殺する人はいるでしょう?」

「ここも同じだよ。経営が行き詰って倒産したんだから」

「倒産は病死じゃない?」

「経営を断念するんだがら自殺だよ」

「例えば、もう使われなくなって久しい場所でも、建物自体が存在し続ける限りは『ああそうだ、ここにはこれがあって、あそこはああなってて~』ってわかるもんだよ。その建物を使ってた人はね。霧散していた記憶がすーっとまとまるのさ。でも建物が取り壊されたら、もうそれも無理なんだ。その場から導き出される記憶というのはすべて消える」

「それは人間の記憶というより、建物が『思い出せ!』って、わたしたちに記憶を送りつけているみたい」

「そんな感じだろな」

情報の必要性

 

 その日は特に用事があるわけではなかったが、母の仕事が休みだということで、いつまでもダラダラと寝ているわけにはいかなかった。僕はいつもより少しだけ早起きをすると、顔を洗ってリビングへと向かった。すると母から朝の挨拶も無いままに「ねぇ聞いてよ!」と声をかけられる。

「朝早くに婆ちゃんから電話があってね、6時半くらいに」

「婆ちゃんがどうしたの?」

「電話に出るなり『どうしよ!あんな、婆ちゃん頭がおかしくなってしもうた!』って.....」

「えええぇ」

「『今日が何曜日かわからんくなってしもうた!』って。それで爺ちゃんと朝から喧嘩したらしいよ。今日が水曜か木曜かってことで」

「嘘でしょ....」

「もうほんと呆れる....」

 

 母方の祖父母は2人とも87歳だ。当然だがこの年代の老人は近代化というものとは一切無縁の生活をしているし、適応する能力もない。祖父は元農林水産省職員という立派な職に就いていたが、退職してからというもの、新聞を取ることも辞め、ニュースすらも見ることはなく、老後の過ぎゆく日々をスカパーの時代劇チャンネルを見ることと、海へ釣りに行くことだけに費やしていた。そして近年大きな病気をして以来、釣りに行くことすらやめてしまった。祖母はそんな祖父を60年以上専業主婦として支えてきたので、社会に出た経験はなく、当然「世間」というものを知らない。3人の娘と、酒癖が悪くわがままな祖父を文句ひとつ言わず支え続けてきたその主婦として、妻としての姿勢は素晴らしいものがあるが、当然2人は全く世の中から隔離されてしまった。どれくらい世間から隔離されているかというと、それは東日本大震災を知らなかったというほどである。そのことで母はこの世離れ夫婦をきつく叱責したようだが、特に生活は変わっていないように思える。

 僕と母は、果物とヨーグルトだけの簡単な朝食を食べると、午前中のうちに家電量販店へ向かい、大きなデジタル電波置時計を購入し祖父母の家へ向かった。

 昼過ぎには祖父母の家に到着した。急な訪問だったので祖母は不在だったが、祖父が出迎えてくれた。

「爺ちゃん、ほらこれ!時計買ってきたから!ここに日付と曜日でるから、毎朝確認してね」

 母はそう言うと、買ってきたばかりの、大きな液晶のデジタル時計をテレビの横に置いた。

 しかし、予想もしていなかった事態が起こる。祖父はデジタル時計の見方がわからなかったのである。ちょうど時刻が12時過ぎということもあったが、祖父は時刻と日付を勘違いしていたのだ。その後時計の見方を何回か言って聞かせたが、正しく理解し、祖母に時計の見方を伝えられているかは怪しいところだ。

 別に僕はこの祖父母の悪口を言っているわけではない。むしろ「今日が水曜か木曜化で早朝から喧嘩する」なんて、なんとも笑える話だし、可愛く思えるくらいだ。ただ僕はこれだけ世間から離れていても、ちゃんと人間的に生活できていることに驚いた。『デジタルデバイド』という情報格差を表す言葉があるが、彼、彼女ら老夫婦は2015年という現代を駆け巡る情報、システムからは完全に隔離されつつも、体調がすぐれないことを除けば幸せに生活できている。この老夫婦の時間、彼らだけの時計の時間は20年以上止まっている、もしくは同じ時間を何度も何度も繰り返されているのかもしれない。

 このことをきっかけとして、僕は情報の遮断というものについて少し考えてみた。国家の情報隠蔽のような大層な話ではなく、単に個人として生きる上で目にする、耳にする情報に限定した話である。

 物は試しということで、僕は毎日行っているの好きなスポーツのニュースチェックを3日やめてみた。そして3日後にまとめてニュースをチェックしてみると、2つほど気付いた点があった。まず、ひとつめに、ニュースチェックが楽しくなったということである。惰性ではなく、本当に必要性があってニュースを見ているという感覚がしたのだ。そして2つ目は、出来事(ニュース)に「流れ」のようなものを感じたということである。久々に会った親戚の子が大きく成長していたり、数日見ていなかった植物の芽が大きく伸びていたりするように、物事は少し目を離していたほうが、その大まかな変化や出来事の推移を「流れ」として感じ取りやすいのだ。

 つまり情報はある程度「フレッシュ」である必要は無いのかもしれない。世間を「知る」ことは重要だが、ある程度そこから身を離すことで得られるものもあるということだ。それがスマホ依存症の現代人にこそ必要なものなのかもしれない。

今日もあしたも今日が終わる

 

 数年前、旅行でとある県に行ったときのこと。観光のために延々と歩き回った僕は少し休憩をしようと、近くにあった喫茶店に入った。その日はよく晴れた暑い日で、僕は汗を拭きながら席に着くと、店のおばちゃんにアイスコーヒーを注文した。

「アイスコーヒーは砂糖入りと砂糖無しがありますけど」

「え?じゃあ無しで」

 数分後、運ばれてきたコーヒーは深入りですごく苦かった。「ガムシロップはくれないのか...」と思いながら、渋々アイスコーヒーを飲んでいると、ふと窓の外に一風変わった信号機があることに気がついた。

 その信号機はカウントダウン式の信号機だった。赤信号から青信号になるまでの待ち時間がカウントダウンされるのだ。その信号が何秒待ちだったか、詳しくは覚えていないが、赤信号が青になるまで、おおよそ70秒か75秒くらいだった気がする。僕は「なかなかいいなこれ」と思いながらしばらくその信号機を眺め、気が済むとリュックから観光案内や地図を取り出してこの後の予定を立てた。

 予定も決まり、一息ついた僕は、再度なんとなく窓の外の信号を見る。信号の待ち時間は「60」だった。僕は「ちょうど1分」と考えた。そしてさらに少し時間が経った後に再び信号機を見ると、またもや「60」の表示だった。僕はさっき信号を見たときから1分経ったのか、2分たったのか、はたまた3分経ったのかわからなくなった。

 その後も信号を見るたびに「45」「55」「20」など様々な数字が目に飛び込んでくる。そしてそのたびに僕は、どんどん時間が削り取られているような気分になった。時間の経過を、まざまざと数字で見せつけられているのだ。僕は若干の嫌悪感を抱いて、店を出るころには「嫌な信号だ」と思っていた。

 

 早起きしなければならないというのに、前日の夜になかなか寝付けないという経験はだれしもがあると思う。つい先日の僕もそうだった。

「音楽を聴けば眠れる」そう思い、僕はiPodにイヤフォンを差し込み、再び布団に潜り込む。好きな音楽というのはいつ聴いたって嫌な気分はしない。僕は次から次へと曲を変えて音楽に没頭した。

 ただ、眠りはやってこなかった。それどころか、1曲聴き終るごとに「もう5分経ったのか....」「もう4分経ったのか...」「もう3分....」「10分....」と『時間の経過』を意識するようになってしまい、そしてまた1曲、2曲、3曲と、曲を聴き終る分だけ睡眠時間が削られてしまうことに、ひどく焦りを感じた。このときに、数年前の旅行、上記した喫茶店でのことを思い出した。『時間の経過を意識させられるもの』それはなんとも嫌なものだ。

 

 映画を観終わって外に出たとき、夕日が眩しかったり、すっかり日が暮れていたりすると、どことなく寂しい気分になる。『時間の経過』とは、きっとそういうものなんじゃないだろうか。

 

(小説)ST∃M

 

 ある日、見慣れたはずの高級中華料理店は、ただの壁になっていた。

「そんなはずはない」わたしはそう思ったが、かといって確実にそこにあったという確信は持てなかった。ただ、過去にその店で一度だけコース料理を食べたことがあるという記憶だけが、その存在のより深い証明であったが、今や壁となった「そこにあったかもしれないもの」を見つめていると、その記憶もぐにゃりと曲がり、傾いた。

 このことに関して、わたしの最終的な判断は「どうでもいい」というものだ。ただなんとなく、その店の前を通る度にそこに中華料理屋があったような気がしていただけだし、加えて「行ったことがある」、そんな気がしていただけだ。もし、わたしが知人から「いつもそこにあったお店が、ある日壁になっていた」と聞かされれば、わたしは驚きの表情をしてみせ、根掘り葉掘り詳しくそのことを聞き出すだろう。だが、いざ自分の身にそのような出来事が降りかかってきたからといって、秒をおって過去を生み出しつつある現在進行形のこの人生に、今この時のような摩訶不思議な出来事が、歪められた過去を内包する現在として未来との間に切り込んでこようが、このわたしの人生における前後の文脈に特に変化は認められそうにもなかった。要するに「どうでもいい」のだ。

 わたしはその足で駅の近くにあるカフェに入ると、熱く濃いシアトル系のブラックコーヒーを飲んだ。ソファに腰を下ろし、しばらくはスマートフォンで今日一日のニュースを眺めて時間を潰したが、他にやるべきことも見当たらなくなって、そろそろ店を出ようかとしたその時、隣に座っていた20代前半の女性が、テーブルの上にあったココアの入った紙コップを勢いよく倒した。ココアはテーブルの上にさらりと広がり、その最前線は勢いそのままにテーブルの縁から滝のように滴り落ち、正方形のマス目に区画された石造りの床にココアの水たまり2号を作った。ぴちゃん、ぴちゃん、その後もココアは音を立てながら等間隔でテーブルから床に滴り落ちる。わたしはそれをじっと見つめる。ぴちゃん、ぴちゃん。ココアは、床の溝の上を、導火線を伝うようにゆっくりと流れ徐々に私に近づいてくる。私は荷物をまとめ素早く店を出た。

 ふと目が覚めたとき、その時間がまだ響き渡るアラームによりいそいそと起きなければならない時間より数時間も前の、深夜と朝の中間に位置する時間であることを、わたしは即座に理解した。わたしはあまりにも眩しい月明りで目覚めてしまったのだ。コンタクトをしていない眼球は、月の輪郭を消して、放射状に伸びた黄色い光によりそれが円形であることをわたしに見せた。布団に深く潜り込む。それでもなぜか、月明りに「晒されている」という感覚に陥った。消防車と救急車のサイレンは、反響音を残して静かに遠くへ消えてゆくのではなく、わたしの耳元でなり続けた。

「ヤニリ町で火事があったそうよ。あの公民館の裏」

「ほほ。やはり夢ではなかったのか」

 帰り道。日も暮れて辺りが薄暗くなってきた頃、わたしは少し遠回りをして火事の起きたヤニリ町を通る。辺りを見回すと、公民館の裏手の少し奥まったところにあるアパートが半焼していた。わたしはその焼け跡を見てぞっとした。黒く焦げたアパートは、まるで蓋骨が叫んでいるようであった。辺りの薄暗さもあってか、その焼け跡は不気味な雰囲気を醸し出し、焼け爛れた窓やベランダは深い深淵となって、声ならぬ叫びを響き渡らせていた。わたしは急いでその場から立ち去った。

「あんた、はやくでないと遅刻するよ!」とは母。

 見慣れた顔が視聴者に挨拶をする。「おはようございます!」朝のニュース番組が始まった。つまり時刻は朝の8時00分。到着目標は8時20分。目的地まで徒歩18分。わたしは少し急いで靴を履き、玄関の扉を開ける。ドアの取手は酷く冷たかった。

 目的地に着いたとき、わたしの腕時計もスマートフォンも、8時02分という時刻を示していた。

 「今日はね、1日が23時間と42分なんだって。昨日の火事で軸がずれたのが原因だってパパが言ってた」

 9時間後、わたしは「もう随分と長いこと湯船にお湯を張っていないなぁ」と思った。

「よし、今夜はあつあつのお風呂につかるぞ!」

「風呂桶は持っているのかい?プラスチック製のさ?」

「ない」

 ホームセンターに着いたわたしは、プラスチック製の浅く広い風呂桶を2つ購入し、そのなかに財布を入れて家まで帰った。

「まるで銭湯に行く人みたい」

「帰りかもしれないよ」

 37℃のお湯はぬるすぎてつかることができなかった。そこでわたしは風呂桶を2つ湯船に浮かべる。ひとつにはシャワーから熱々(約45℃)のお湯を注ぎ、もうひとつには冷たい真水を入れた。わたしはそれをにこやかに見つめる。熱々のお湯が入った風呂桶は、プラスチックの壁に遮られているとはいえ37℃(それもさらに冷めつつある)のぬるいお湯に囲われていることで徐々に熱を失うだろう。対して、真水の入った風呂桶はぬるま湯といえども、37℃のお湯に囲われて徐々に熱されてゆくだろう。そして二つとも同じ温度になるのだろうか。わたしは服を脱いでいなかった。

 

 これは2年前に書いた文ですね。意味わかんないですね(実はわかってる)。USBのファイル漁ってたら出てきたものです。なんか勿体ないので載せました。

小説2 『まわりまわって』

 

 地下鉄を降りて地上に出ると、わたしの願いも虚しく雨脚は強くなっていた。ほんの数秒間、ずぶ濡れになった夜の街並みを眺めたわたしは、声にならない悔しさを噛みしめ、再び地上を背にした。たしか改札近くのキオスクにビニール傘が売っていたはずだ。

 雨に濡れたアスファルトが、街灯の明かりを反射して視線の先に白い光を映し出す。その光は逃げるように、わたしの進行方向を先へ先へと滑るように移動していた。わたしは下を見ながら、その光を追いかけ、追いつめるように歩く。そうしていると、いつの間にか、かなり早い速度で歩いていることに気がついた。それはまるで自分の影を追いかけているようだった。わたしは歩を緩め、雨が傘の表面を叩くバラバラという音に耳を澄ます。

 

 待ち合わせのコンビニに到着し、傘を畳んで店内へ入ると、週刊誌を立ち読みしているアオバの肩を叩く。

「おまたせ」

「うえ…遅っ…20分も待ってたんだけど」

「ごめん。電車には乗り遅れるわ、天気はこんなんだしで…」

「まぁいいよ。とりあえず酒とつまみを買ってさっさとムツキの家へ行こう」

 アオバはパンッと音を立てて週刊誌を閉じると、買い物カゴを手に取り、その中にビールを半ダースと酒のつまみになるようなものやお菓子を投げ入れた。会計を済ませコンビニを出ると、わたしたちはほんの少しの間、雨の降りしきる空を見上げる。雨は少し弱まっていた。

「ねぇムツキ」

「なに」

「死後の世界って信じてる?」

「信じてないよ」

アオバは「だよねぇー」と言うと傘を開き、ビールを小脇に抱えながら歩き出した。

「先週、法事で埼玉のお婆ちゃん家に行ったの。たくさんの親戚が集まって来てて、そこでお婆ちゃんの妹さん、大叔母っていうのかな、その人がこう言ったの『どうせ死んだら何もわかりはしなんだから、私は自分の葬式やその後のことなんてどうでもいいね』って。それでその晩、夕食の後に私たち家族とお婆ちゃんでお茶を飲んでいるとき、お婆ちゃんが『あの人はあんなこと言ってたけど、私は死んだら何もないってことはないと思うのよね。天国ってわけでもないけど、なにかあるような気がするの』って言うわけ」

「うちの祖父母も似たようなこと言ってたなぁ。まぁ年寄りなんてそんなもんでしょ。現代人より信心深いしさ」

「それでね、そのとき私は心の中で『この人は何を言っているんだ!死んだら無に決まっているだろう!あんたはどんだけ生にしがみついているんだよ!』って思ったの」

「なんて思いやりのない女…」

「そんで、その晩寝る前に考えたんだけど、年を取ったからって死が受け入れられるようになるワケではないのかなって思ったの。80年、人によっては90年、100年と積み上げてきた膨大な自分の人生の記憶を、死によって思い出すことができなくなるってさ、それは本当に恐ろしいことなんだって思った。だからお婆ちゃんみたいに、死んだ後も幽霊となって、あの世で自分の人生を振り返る時間が欲しいってのもわかる気がしてきて」

「確かに、積み上げてきたものが多い分だけ忘却への恐怖は増すだろうねぇ。でも、老いて日々自分の可能性が減り続けるなかで生活してゆくのもツライものがあると思うよ。だからこそ『死んで次の人生に向かう!』みたいなポジティブな死の捉え方もあるんじゃない」

 そう言いながらも、わたしは自分の祖父が死の直前まで「死にたくない、死にたくない」と繰り返し言っていたのを思い出していた。

「まぁね、私たちだって好きで生まれてきたわけでもないしさ、死後にまたどこかで『わたし』として誰かの人生を始めているかも」

 

 わたしは自分の意志で生まれてきたわけではない。でも、今のわたしの人生が誰かの生まれ変わりだとしたら?死にたくない、自分を忘れたくないと言って死んでいった者の生まれ変わりだとしたら?もしそうだとしても、わたしはその人の人生を思い出すことはできないし、自分は自分だとしか思っていない。つまりそこに、自分の人生に、知らない誰かの記憶は挟まっていないわけで、覚えのない後悔や喜びなどはない。つまり「死という自我の忘却」への恐怖は杞憂に終わったということだ。ただ、その代りと言ってはなんだが、わたしたちは誰かの人生を知ることはできる。それには過去も現在も無い。自分の死後を考えたとき、なんとなくそのことが救いのように感じられた。

 

 少しの間会話が途切れる。わたしはまた下を見て歩く。右足、左足、右足、左足….わたしはそれを意識して歩く。今こうして歩いているのはわたしの意志だ。それはわたしが生きている証拠、わたしをわたしたらしめる意識。わたしは歩くという目的のために、それぞれの足を地面から蹴り上げる。蹴り上げられた足の先端から、水滴が細く長い線のように伸び上がり、それがアスファルトの地面や靴のつま先部分に降り注ぐ。それはわたしの意識の外。それはわたしの靴を濡らし、わたしを不快にさせるもの。濡れた靴の中が不快だと感じる私。それはわたしをわたしたらしめるもの。生きているとは、そういうこと。

 

「ねぇ」わたしはアオバに尋ねる。

「心霊写真とか、幽霊が映り込んだホームムービーってあるじゃない?それらに映っている幽霊ってどうしてみんな憎しみに満ちたような怖い顔をしているのかな」

「そりゃ楽しそうな、幸せそうな人が憎いからでしょうよ」

「そうやって彼らを怖がらせるだけで幽霊は満足なのかな?そう考えると幽霊ってなんかちんけな奴」

「あはは」とアオバは笑う。

「それに、死後幽霊となってそこに彷徨い続けても、生前やり残した事が達成されるわけでもないじゃない?むしろ生きていた時代が楽しくて楽しくて、幸せでどうしようもなかった人のほうが幽霊として彷徨いそうだよ。『まだ死にたくなかった!まだまだ楽しいことしたかったんだ!』ってな感じで。あまりに現世が名残惜しくって幽霊になるの」

「なるほど。それは一理あるかも。人の欲求は底なしだからね。老体がツライから自分の死に対して諦念みたいなものが出てくるかもしれないけど、実際はもっとあれこれしたかったとか思うよねぇ」

 

 わたしたちは国道の大通りに出た。車のヘッドライトや街灯に照らし出された雨は、実際にわたしが感じているよりも激しく降りしきっているように見える。それでも雨はどんどん弱くなりつつあった。わたしの傘の柄を握りしめるその手は次第に緩くなり、それに従って傘はゆらゆらと前後する。

「ねぇアオバ、もし死後の世界があるとしたらさ、そこで先に死んでいった人たちに会えると思う?会いたい?」

「うーん。会えるのなら会いたいけど、望みは薄いね」

「どうして?」

「さっきのムツキの話で思ったんだけど、幽霊がみんな怖い顔をしているのは、きっと幽霊自身、他の幽霊が見えていないからだよ。死後ずっとひとりぼっち。孤独に耐えかねてどんどん恐ろしい顔つきになってね、そして写真やビデオに紛れ込むことで少しでも自分の存在を世に知らしめるの」

「うわっ!その考えは無かったな。死後にひとりぼっちなんて最悪じゃん」

「でしょ。もし自分以外の幽霊に会えれば、幽霊同士友達とかになったりして楽しくすごせそうだもん」

 通りの先にわたしの住むアパートが見えてきた。

「なんだか話がとっちらかってきたけど、死後の楽しみが増えたって感じ」

「死後どうなっているかを伝えることができないなんて人の伝達能力もたかが知れてるよね!」

「なにいってんの!」

 

 自分が死ぬことを知っているのは人間だけらしい。でもそれは、わたしたちが言葉を知っているからだ。犬だって猫だって象だって年をとれば、日に日にいうことをきかなくなる自分の体に対して、言葉ではない、ぼんやりとした「死」の概念みたいなものは感じるのではないか。けれども、動物たちは言葉を持たないから、死がどういったものであるのかを仲間に伝えることはできない。ということは、正確に言うならば「死」という概念そのものより、「死後」という概念を持つのが人間だけなのだろう。人間は言葉を持つからこそ、死のディティールを理解し、人に伝達することができる。そうしてわたしたちは、彼岸がまだ見えていない段階から「死」の概念を知る。つまり、目に見え、感じる物事を、過去を、現在を、文字や数字として記号化してきた人間は、「死」もまたその図式に中に捉え、そしてその答え合わせとして「未来」を知りたいと思うのだ。約束された未来は現在のわたしたちに安らぎを与える。そうしてわたしたちは死の先にあるもの、世界を求める。

 雨は止んでいた。季節外れの生暖かい風は、わたしのなかにある湿っぽいものをすーっと吹き飛ばしてゆく。

「公園とかで飲みたい感じ」

「ベンチ濡れてるでしょ」

生活時間

 

 僕は今、両親と共に九州のとある田舎町にいる(田舎といっても娯楽施設が無いだけで、自然が多い的な田舎ではない)。父方の祖父母の家。

 直前まで来る予定は無かった。東京でやるべきことは多かったし、本当はこんなところに来る余裕はなかったのだけど、無性に遠出がしたくなり、両親に無理を言って来させてもらった。社会に出るまで時間がないのだ。行けるべきところは行っておかなくてはならない。

 ここではすべての事が規則正しく、時間通りに行われる。朝7時には起こされ、食欲がなくとも朝食を食べさせられる。お昼ご飯は正午ぴったりで、僕が出かければ夕飯までには帰ってきなさいと言われる。19時、母に「ごはんだよ」と呼ばれリビングへ向かうと祖父は既にお風呂を済ませている。全てに手間暇かけられた健康的な夕食を終えるとお茶が淹れられ、少しの団欒の後、はやくお風呂に入りなさいと祖父に急かされる。それが20時。

 そんな生活リズムの中で、僕がなりより驚いたのは、夜の10時を過ぎると家の中に「深夜」的な空気が漂うこと。眠りへ向かう空気がある。今このブログを書いている時間(深夜1時30分)なんて、起きているだけで罪悪感を感じてしまうほどだ。仕事から解放されている両親は日付が変わる前にはすやすやと眠ってしまう。僕はすっかり取り残されたような気分になる。

 東京での生活はどうかと言うと、普段両親が仕事で忙しいので、僕は22時や23時に夕食をとることなど珍しくはない。一人で食べることだってある。布団に入る時間は深夜2時を過ぎる。そんな生活をしていれば当然、22時など夜である事すら忘れてしまう程に浅い時間だと感じていた。それは家族ではあるが、あまりにも個人の感覚だけで生きている世界。家族が集団であるという事を僕は忘れていた。集団ということは、ある程度個人の自由を捨ててでも規律に従わねばならない。それが健康的な生活というものだろう。大学に入るまでの18年間、学校でそれを学んでいたはずなのだけれど。