縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

幽霊船

蛇口を押し上げ水道水をコップに注いでいると、どんなものにもそれを許容できる限界というものがあるのだとよくわかる。どんなに大きめのコップを使おうがそれは容れ物である限りいずれ満杯となり水は溢れ出す。
それと同じで、自分が限界だと感じる場面は誰にだって想像はできるし、まさにいま経験をしている人もいると思う。学校でのイジメや職場での苦痛を伴う労働、人間関係や体力の問題だってある。体の大きさが人それぞれであるように、詰め込むことができる感情の量もまた人それぞれで、コップのように容れ物の大きさを目視することもできず、その大きさは自分ですら測り得ない。感情ごとに容れ物があり、出来事に応じて言葉や涙や疲労やため息や表情がそれを満たす。水位のように上がったり下がったり。
そもそも自分の感情が一体いくつあるのだろうかと考えた時、それは思いのほか少ないことに気がつく。怒り、悲しみ、喜び、安堵、不安、もちろんそれらが混在していることもある。でも、数え得る感情は意外にも少なくて、その中にいろいろな日々の出来事を詰め込んでゆかねばならない。時に溢れ、時に枯渇し、空っぽであることもまたひとつの限界の形式であるように思える。感情が豊かだね、感情に乏しいね、そんな事を言われる世の中だけど、抱えている感情の数は思いのほか等しくて、ただ容れ物の大きさが違うだけなのだろう。