縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

今日もあしたも今日が終わる

 

 数年前、旅行でとある県に行ったときのこと。観光のために延々と歩き回った僕は少し休憩をしようと、近くにあった喫茶店に入った。その日はよく晴れた暑い日で、僕は汗を拭きながら席に着くと、店のおばちゃんにアイスコーヒーを注文した。

「アイスコーヒーは砂糖入りと砂糖無しがありますけど」

「え?じゃあ無しで」

 数分後、運ばれてきたコーヒーは深入りですごく苦かった。「ガムシロップはくれないのか...」と思いながら、渋々アイスコーヒーを飲んでいると、ふと窓の外に一風変わった信号機があることに気がついた。

 その信号機はカウントダウン式の信号機だった。赤信号から青信号になるまでの待ち時間がカウントダウンされるのだ。その信号が何秒待ちだったか、詳しくは覚えていないが、赤信号が青になるまで、おおよそ70秒か75秒くらいだった気がする。僕は「なかなかいいなこれ」と思いながらしばらくその信号機を眺め、気が済むとリュックから観光案内や地図を取り出してこの後の予定を立てた。

 予定も決まり、一息ついた僕は、再度なんとなく窓の外の信号を見る。信号の待ち時間は「60」だった。僕は「ちょうど1分」と考えた。そしてさらに少し時間が経った後に再び信号機を見ると、またもや「60」の表示だった。僕はさっき信号を見たときから1分経ったのか、2分たったのか、はたまた3分経ったのかわからなくなった。

 その後も信号を見るたびに「45」「55」「20」など様々な数字が目に飛び込んでくる。そしてそのたびに僕は、どんどん時間が削り取られているような気分になった。時間の経過を、まざまざと数字で見せつけられているのだ。僕は若干の嫌悪感を抱いて、店を出るころには「嫌な信号だ」と思っていた。

 

 早起きしなければならないというのに、前日の夜になかなか寝付けないという経験はだれしもがあると思う。つい先日の僕もそうだった。

「音楽を聴けば眠れる」そう思い、僕はiPodにイヤフォンを差し込み、再び布団に潜り込む。好きな音楽というのはいつ聴いたって嫌な気分はしない。僕は次から次へと曲を変えて音楽に没頭した。

 ただ、眠りはやってこなかった。それどころか、1曲聴き終るごとに「もう5分経ったのか....」「もう4分経ったのか...」「もう3分....」「10分....」と『時間の経過』を意識するようになってしまい、そしてまた1曲、2曲、3曲と、曲を聴き終る分だけ睡眠時間が削られてしまうことに、ひどく焦りを感じた。このときに、数年前の旅行、上記した喫茶店でのことを思い出した。『時間の経過を意識させられるもの』それはなんとも嫌なものだ。

 

 映画を観終わって外に出たとき、夕日が眩しかったり、すっかり日が暮れていたりすると、どことなく寂しい気分になる。『時間の経過』とは、きっとそういうものなんじゃないだろうか。