縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

小説2 『まわりまわって』

 

 地下鉄を降りて地上に出ると、わたしの願いも虚しく雨脚は強くなっていた。ほんの数秒間、ずぶ濡れになった夜の街並みを眺めたわたしは、声にならない悔しさを噛みしめ、再び地上を背にした。たしか改札近くのキオスクにビニール傘が売っていたはずだ。

 雨に濡れたアスファルトが、街灯の明かりを反射して視線の先に白い光を映し出す。その光は逃げるように、わたしの進行方向を先へ先へと滑るように移動していた。わたしは下を見ながら、その光を追いかけ、追いつめるように歩く。そうしていると、いつの間にか、かなり早い速度で歩いていることに気がついた。それはまるで自分の影を追いかけているようだった。わたしは歩を緩め、雨が傘の表面を叩くバラバラという音に耳を澄ます。

 

 待ち合わせのコンビニに到着し、傘を畳んで店内へ入ると、週刊誌を立ち読みしているアオバの肩を叩く。

「おまたせ」

「うえ…遅っ…20分も待ってたんだけど」

「ごめん。電車には乗り遅れるわ、天気はこんなんだしで…」

「まぁいいよ。とりあえず酒とつまみを買ってさっさとムツキの家へ行こう」

 アオバはパンッと音を立てて週刊誌を閉じると、買い物カゴを手に取り、その中にビールを半ダースと酒のつまみになるようなものやお菓子を投げ入れた。会計を済ませコンビニを出ると、わたしたちはほんの少しの間、雨の降りしきる空を見上げる。雨は少し弱まっていた。

「ねぇムツキ」

「なに」

「死後の世界って信じてる?」

「信じてないよ」

アオバは「だよねぇー」と言うと傘を開き、ビールを小脇に抱えながら歩き出した。

「先週、法事で埼玉のお婆ちゃん家に行ったの。たくさんの親戚が集まって来てて、そこでお婆ちゃんの妹さん、大叔母っていうのかな、その人がこう言ったの『どうせ死んだら何もわかりはしなんだから、私は自分の葬式やその後のことなんてどうでもいいね』って。それでその晩、夕食の後に私たち家族とお婆ちゃんでお茶を飲んでいるとき、お婆ちゃんが『あの人はあんなこと言ってたけど、私は死んだら何もないってことはないと思うのよね。天国ってわけでもないけど、なにかあるような気がするの』って言うわけ」

「うちの祖父母も似たようなこと言ってたなぁ。まぁ年寄りなんてそんなもんでしょ。現代人より信心深いしさ」

「それでね、そのとき私は心の中で『この人は何を言っているんだ!死んだら無に決まっているだろう!あんたはどんだけ生にしがみついているんだよ!』って思ったの」

「なんて思いやりのない女…」

「そんで、その晩寝る前に考えたんだけど、年を取ったからって死が受け入れられるようになるワケではないのかなって思ったの。80年、人によっては90年、100年と積み上げてきた膨大な自分の人生の記憶を、死によって思い出すことができなくなるってさ、それは本当に恐ろしいことなんだって思った。だからお婆ちゃんみたいに、死んだ後も幽霊となって、あの世で自分の人生を振り返る時間が欲しいってのもわかる気がしてきて」

「確かに、積み上げてきたものが多い分だけ忘却への恐怖は増すだろうねぇ。でも、老いて日々自分の可能性が減り続けるなかで生活してゆくのもツライものがあると思うよ。だからこそ『死んで次の人生に向かう!』みたいなポジティブな死の捉え方もあるんじゃない」

 そう言いながらも、わたしは自分の祖父が死の直前まで「死にたくない、死にたくない」と繰り返し言っていたのを思い出していた。

「まぁね、私たちだって好きで生まれてきたわけでもないしさ、死後にまたどこかで『わたし』として誰かの人生を始めているかも」

 

 わたしは自分の意志で生まれてきたわけではない。でも、今のわたしの人生が誰かの生まれ変わりだとしたら?死にたくない、自分を忘れたくないと言って死んでいった者の生まれ変わりだとしたら?もしそうだとしても、わたしはその人の人生を思い出すことはできないし、自分は自分だとしか思っていない。つまりそこに、自分の人生に、知らない誰かの記憶は挟まっていないわけで、覚えのない後悔や喜びなどはない。つまり「死という自我の忘却」への恐怖は杞憂に終わったということだ。ただ、その代りと言ってはなんだが、わたしたちは誰かの人生を知ることはできる。それには過去も現在も無い。自分の死後を考えたとき、なんとなくそのことが救いのように感じられた。

 

 少しの間会話が途切れる。わたしはまた下を見て歩く。右足、左足、右足、左足….わたしはそれを意識して歩く。今こうして歩いているのはわたしの意志だ。それはわたしが生きている証拠、わたしをわたしたらしめる意識。わたしは歩くという目的のために、それぞれの足を地面から蹴り上げる。蹴り上げられた足の先端から、水滴が細く長い線のように伸び上がり、それがアスファルトの地面や靴のつま先部分に降り注ぐ。それはわたしの意識の外。それはわたしの靴を濡らし、わたしを不快にさせるもの。濡れた靴の中が不快だと感じる私。それはわたしをわたしたらしめるもの。生きているとは、そういうこと。

 

「ねぇ」わたしはアオバに尋ねる。

「心霊写真とか、幽霊が映り込んだホームムービーってあるじゃない?それらに映っている幽霊ってどうしてみんな憎しみに満ちたような怖い顔をしているのかな」

「そりゃ楽しそうな、幸せそうな人が憎いからでしょうよ」

「そうやって彼らを怖がらせるだけで幽霊は満足なのかな?そう考えると幽霊ってなんかちんけな奴」

「あはは」とアオバは笑う。

「それに、死後幽霊となってそこに彷徨い続けても、生前やり残した事が達成されるわけでもないじゃない?むしろ生きていた時代が楽しくて楽しくて、幸せでどうしようもなかった人のほうが幽霊として彷徨いそうだよ。『まだ死にたくなかった!まだまだ楽しいことしたかったんだ!』ってな感じで。あまりに現世が名残惜しくって幽霊になるの」

「なるほど。それは一理あるかも。人の欲求は底なしだからね。老体がツライから自分の死に対して諦念みたいなものが出てくるかもしれないけど、実際はもっとあれこれしたかったとか思うよねぇ」

 

 わたしたちは国道の大通りに出た。車のヘッドライトや街灯に照らし出された雨は、実際にわたしが感じているよりも激しく降りしきっているように見える。それでも雨はどんどん弱くなりつつあった。わたしの傘の柄を握りしめるその手は次第に緩くなり、それに従って傘はゆらゆらと前後する。

「ねぇアオバ、もし死後の世界があるとしたらさ、そこで先に死んでいった人たちに会えると思う?会いたい?」

「うーん。会えるのなら会いたいけど、望みは薄いね」

「どうして?」

「さっきのムツキの話で思ったんだけど、幽霊がみんな怖い顔をしているのは、きっと幽霊自身、他の幽霊が見えていないからだよ。死後ずっとひとりぼっち。孤独に耐えかねてどんどん恐ろしい顔つきになってね、そして写真やビデオに紛れ込むことで少しでも自分の存在を世に知らしめるの」

「うわっ!その考えは無かったな。死後にひとりぼっちなんて最悪じゃん」

「でしょ。もし自分以外の幽霊に会えれば、幽霊同士友達とかになったりして楽しくすごせそうだもん」

 通りの先にわたしの住むアパートが見えてきた。

「なんだか話がとっちらかってきたけど、死後の楽しみが増えたって感じ」

「死後どうなっているかを伝えることができないなんて人の伝達能力もたかが知れてるよね!」

「なにいってんの!」

 

 自分が死ぬことを知っているのは人間だけらしい。でもそれは、わたしたちが言葉を知っているからだ。犬だって猫だって象だって年をとれば、日に日にいうことをきかなくなる自分の体に対して、言葉ではない、ぼんやりとした「死」の概念みたいなものは感じるのではないか。けれども、動物たちは言葉を持たないから、死がどういったものであるのかを仲間に伝えることはできない。ということは、正確に言うならば「死」という概念そのものより、「死後」という概念を持つのが人間だけなのだろう。人間は言葉を持つからこそ、死のディティールを理解し、人に伝達することができる。そうしてわたしたちは、彼岸がまだ見えていない段階から「死」の概念を知る。つまり、目に見え、感じる物事を、過去を、現在を、文字や数字として記号化してきた人間は、「死」もまたその図式に中に捉え、そしてその答え合わせとして「未来」を知りたいと思うのだ。約束された未来は現在のわたしたちに安らぎを与える。そうしてわたしたちは死の先にあるもの、世界を求める。

 雨は止んでいた。季節外れの生暖かい風は、わたしのなかにある湿っぽいものをすーっと吹き飛ばしてゆく。

「公園とかで飲みたい感じ」

「ベンチ濡れてるでしょ」