縦裂FNO

俺はポエマー、すべてイカサマ。

死に続けている旧友

 

 これから話す事は、子供の頃、当時の気持ちをそっくりそのまま表したものではない。まだ10歳にも満たない子供に、複雑な感情の絡まりを述べる術など無いのだ。ただ、歳を重ねるごとに、当時感じていたことが少しづつ言葉として蘇り、実態を帯びてきた。そして今、自分の言葉語る。それはリアルなものなのか、はたまた時間というものが生み出した幻影なのかはわからない。 ただ、「わすれない」でいることが、なによりも大事なのだ。

 

 これは僕が九州に住んでいた頃、つまりまだ小学生低学年の頃の話。当時僕が住んでいた家のすぐ近くに小さな木造住宅があった。そこにはコウキという名の僕と同い年の少年とその弟、そして彼らを育てるお婆さんが住んでいた。なぜそのような家族構成で暮らしていたかは未だにわからないが、もともと母子家庭であったとの話は聞いている。

 コウキはボウズ頭をしばらく放置したような髪型で、いつもしかめっ面の小柄な少年だった。僕は友達が少なく、相当おとなしい子供だったが、コウキもそれは同じだった。ただ、僕よりさらにおとなしかった。無口で少し意地っ張りだったが、いつも最後は折れた。だからコウキは僕が初めて主導権を握り接することができる相手だった。

 お互い友達がいないせいか、家が近いせいかはわからないが、コウキはよく僕の家に遊びに来た。僕の習い事の日以外はほぼ必ず来ていただろうか。そしてよくテレビゲームをさせてくれとせがんだ。その小さな木造住宅を見れば誰の目にも明らかではあったが、コウキの家庭は決して裕福ではなく、テレビゲームなど他人の家でしかできなかったのだろう。単にそれが僕の家に来ていた理由だったのかもしれないが、コウキが僕に対してなんかしらのシンパシーは感じていたことは間違いないと思う。家庭環境は大きく違えど、学校での立ち位置は同じようなものだったからである。しかし僕の母は教育面でやや厳しく、テレビゲームは週に1回そして30分が限度だった。そのために結局は他のことをして遊ぶことが多かった。

 二人での遊びは多岐にわたった。自転車で競争、落書き、カードゲーム、そして時折母の目を盗んでするテレビゲーム。しかし何するにしても主導権を握っていたのは僕だったので、彼はときおり悔しそうな顔をした。僕はそのたびに優越感に浸った。その事に対して、若干の申し訳なさというものは感じていたが、友達がおらず、昼休みには図書室で本を読むだけの生活だった僕に、誰かの上に立てるという優越感は、逆らいようの無い快感だったのだ。それでも彼は僕の家に来続けた。クラスが離れていたせいか、学校で顔を合わせる機会は少なかったが、放課後になると彼はインターホンも鳴らさず僕の家の前にあるコンクリートの段差に腰掛け、僕が出てくるのをじっと待っていた。

 ある日、僕らは母に内緒でテレビゲームをして遊んでいた。するとコウキは突如「あっ...」と声を漏らし、青ざめた。彼は熱中しすぎて必要以上に力んでしまったのだろうか、コントローラー(のスティック部分)を壊していた。それを見た僕は、つい彼を怒鳴ってしまった。必要以上にきつく当たってしまった。というのも、僕はそのゲーム機を手に入れたばかりだったのだ。彼は悲しげに俯き、強く手に握りしめたコントローラー黙って見つめていた。そして涙声で一言「ごめん。ごめん....もう帰る」そう言い残して、俯いた顔を上げることなく部屋から去っていった。彼を見たのはそれが最後だった。彼はその後、全身を癌に犯され死んだ。

 

 ケンカしたその日から一週間後くらい経ったある日、コウキのお婆さんが尋ねてきた。彼女は僕の顔を見るなり、優しく微笑み、いつもコウキと遊んでくれてありがとうと感謝を述べた。それから、手に持っていた手提げを無理やり僕に握らせた。中にはたくさんの果物とお菓子が入っていた。彼女は優しい笑顔のまま、コウキは病気にかかっている、暫く入院するのだと告げた。そして、病気が治ったらまた遊んでやって欲しい、そう述べると、僕に背を向け、ゆっくりとした足取りで彼女の自宅へ戻っていった。その間、僕は一言も発していなかった気がする。

 コウキが体調を崩して学校に来ていないのは知っていたが、「入院」という言葉を聞いて僕の心はざわついた。病気だろうがなんだろうが、彼が遊びに来ないというだけで、僕はなんだか裏切られたような気さえしたし、ものすごくイライラした。まるで遊んでやっているのはこの僕だと言わんばかりに。

 入院した時点で、病状はかなり悲惨なものだったと聞いている。癌が発症したのは左足で、その後切断。しかし癌は転移しており、数か月の闘病の後、彼は短い生涯を終えた。

 まだ10歳にもなっていなかった僕は、死がどういうものであるのか理解できなかった。ただいつも目の前にいた友達が煙のようにスッと消えてしまった。悲しみすら感じていなかった。むしろ死に対する興味すら感じていた。死ぬってなんだ?天国はあるのか?死んだら焼かれるの?今生きているこの僕の肌も炎に焼かれ朽ち果てるのか?それはものすごく恐ろしいのではないか?コウキはもうすぐ焼かれるのか?焼かれたらもう生き返るチャンスはないのか?

 僕は小奇麗な格好をさせられ、少し緊張したまま母の運転する車に乗り込むと、自宅からほど近い葬儀場へ向かった。受け付けを済まして中に入った時の記憶は今でも鮮明に覚えている。それはあまりにも日常からはかけ離れた光景で、僕は思わずこわばってしまった。遺影に写っているその顔は確かに僕の知っているコウキだったけれど、それを囲む仰々しい花々も、彼が眠る棺も、大きな祭壇も、全てがこれまで感じた事のない死臭となって僕を威圧した。生者と死者の間には果てしない、圧倒的な隔たりがあるのだと痛感した。棺に納められた彼の顔は人とは思えぬほどに白く、少し開いた口から覗く闇は、恐ろしいほどに深く感じられた。僕は息を殺して泣くのを我慢した。彼の死に悲しみなど感じていなかったのに、僕は涙を堪え切れなかった。彼の死に顔を前にして、僕ははっきりと悟った。死は僕の手に収まりきれるものではないと、死は大ごとなのだと。

 その後、斎場の椅子に座ってじっとしているとコウキのお婆さんがやってきた。目を真っ赤に腫らしながらも、僕にお菓子を持ってきてくれた時と変わらない笑顔で、今日は来てくれてありがとうと言った。

 

 僕は近々用事で九州へ行く。そして、今は駐車場となってしまっているあの木造住宅のあった場所で、僕は心の中だけで祈るだろう。僕は別段、彼に申し訳なさを感じている訳ではない。あの程度のケンカや上下関係というのは子供の世界には付き物なのだ。それでも考えずにはいられない時がある、彼が死なずに今も生きていたら、僕の事を嫌な奴だったと思うだろうかと。あの当時僕が感じた事や思った事はあまりにも混沌としていて、ただ訳も分からず死という現実を突き抜けて、全てを一瞬のうちに過去へと押しやった。そして、彼の死は僕の人格にべっとりと張りついた。そのおかげで、僕の精神はずいぶんと年老いてしまった。そしてこれからも、僕と彼の距離はどんどんと遠ざかってゆく。彼は死した者であるが故に、今も僕とは別の地平へと歩み去っているからだ。それでも、彼が語りかけてくる言葉は日に日に強く、僕の耳に届くようになっている。理由は冒頭に書いている。僕は死に続けている彼の歩みを少しでも緩やかなものにしてやらねばならない。