縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

朝ならば

 

 以前は休みの日に早起きする習慣を身につけていたけれど、大学生になった頃くらいからだろうか、その習慣はすっかり失われてしまった。大学生にもなると、多くの人がそうであるように飲み会やレポートで徹夜することは当たり前となる。そうなると必然的に寝れるときは昼まで寝るような生活へと変わってしまうものだ。

 僕は日常のあらゆることを習慣にするのが好きで、「毎日必ずすること」をよく決めている。休みの日に早起きしていたのも、父の淹れてくれる、やや薄めのコーヒーを飲むという”習慣”の為だった。父のお気に入りのソニー・クラークキース・ジャレットドナルド・フェイゲンのレコードを聴きながらそのコーヒーを飲めば、なんとも有意義な一日が始まる気がしていた。

 そんな早起きの習慣も無くなって久しくなったある日のこと、僕は友人の家で徹夜し、くたくたになって始発で帰路についていた。ひと呼吸ごとに、波のように押し寄せる疲労感に抗いながら、なんとか意識を保つ。降りる駅が近づいてきた頃、僕はふと腕時計を見る。外は既に明るい時間ではあったが、暗い地下鉄に揺られていると、夜がまだ続いているようだった。そしてこのあと、駅から自宅まで20分も歩くことを考えると、とても憂鬱な気分になった。

 駅の階段を昇り終えると、日光で目が眩んだ。太陽は既に街を明々と照らしだしていた。僕はこの駅の階段を昇り終える直前までは、一刻も早く自宅のベッドへ飛び込みたい気持ちだったが、いざ外へ出てみると、これがけっこう気持ち良い。どんなに疲れていようが、朝と言うのは何かが始まるような期待感があるし、空気も澄んでいる。坂道だって苦にならず、遠回りしてもいいくらいの気分。僕は細胞の蘇りを全身で感じながら「帰ったらシャワーを浴びてコーヒーを飲んで横になりながら読書でもするか!!そして午後は花でも植えよう!!」などと考え、自宅までの道のりを嬉々として歩いてゆく。

 自宅のドアを開けると、再び地獄のような疲労感に襲われ全身の細胞が死滅してゆくのが感じられた。もはやシャワーなど浴びる程の体力的余裕は無いし、こんな状態でコーヒーなんか飲めば胃がやられそうだし、読書するほど起きていられなかった。ましてや花なんてこれっぽっちも植えたくなかった。僕はやっと正気に戻ったのだ。