縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

語られることへの言い訳

 

 村上春樹の処女作『風の歌を聴け』の冒頭は非常に面白い。僕はこの冒頭が大好きだ。ここで語られていることは、29歳の青年村上春樹が、書くことへの決意と「僕には何も書けないのでは?」という恐れ、そして書かれる内容への言い訳が素直に語られている。それも必死で卑怯な素晴らしい言い訳なのだ。

 

 一つ引用してみる。

 

夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。

そして、それが僕だ。

 

そしてハッとさせられる書くことへの決意。

 

僕にとって文章を書くのは酷く苦痛な作業である。(省略)それにもかかわらず、文章を書くことは楽しい作業でもある。生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単だからだ。 

 

この作品には29歳の作家になる前の村上春樹がいる。今や知らない人はいない大物作家がまだ世の誰にも知られていなかった時の素直な言葉には本当に心を打たれる。あの村上春樹もここまで悩み、語られることへ言い訳をしていたのだと。