縦裂FNO

俺はポエマー、すべてイカサマ。

転がる石

仕事中に父から連絡があり、九州に住む父方の祖父が免許を返納することを知った。年はとうに80を過ぎている。今のご時勢を考えれば当然だろう、何かがあってからでは遅い。ただそれ以上にいろいろな思いや感情が僕の頭の中をぐるぐると駆け巡り、何も言わずにはいられなくなった。だから父への返信のなかで、祖父へ伝言をお願いすることにした。

 

平日の帰宅ラッシュ。満員の地下鉄に揺られながら僕が祖父母と共に九州に住んでいた時のことを思い出す。今からもう15年以上前だろうか、それくらいずっと前のこと。

 

「道の駅に美味しいお菓子が売ってるのよ。帰りに買ってくるからね」

「ちょっと夕飯の買い物にいってくるから」

「お墓参りに行ってくるけどあんたも来る?」

 

 

出発5分前、いつも僕の部屋を覗き見て行き先を告げる祖母の慌ただしさと余所行きの服が懐かしい。

車を運転できない祖母は、助手席に座り遠くまでドライブへ行くのが好きだった。もともと足腰が強くないこともあり、常々自由に歩き回れないもどかしさを嘆いていたので、そうして自らの脚に代えて遠くまで運んでくれるドライブが良い気晴らしになっていたのだろう。祖父はそれを黙って汲み取り、近所のスーパーだろうが片道2時間の墓参りだろうが文句ひとつ言わず年式の古い、くすんだ色のブルーバードを走らせた。おそらく祖父も運転が好きだったのだ。車の運転は「己の仕事」としてアイデンティティのひとつにさえなっていたのだろう。それは雨の日に僕が出かけようとするといつも「送ろうか?」と声をかけてくるほどに(いつも断っていたが)、たとえそれが家から徒歩5分のブックオフへ立ち読みしに行くだけの用事であるにしてもだ。 

 

免許返納の決め手は間違いなくここ最近の事件に起因するのだろう。けれど、返納の話自体は2,3年ほど前から家族の議題に上がっていた。それは祖父の耳が遠くなり、補聴器を使うようになったからである。それから里帰りの度、うちの両親にしつこく免許を返納したらどうだと言われるようになり、あまり感情を顔に出さない祖父もこの時ばかりはいつも表情を曇らせた。

 

免許を返納するということは言わずもがなかなりの覚悟がいるだろう。田舎に住む以上、車の運転と人生は切り離せない。祖父は自分の人生と車をどう結び付けて考えているのだろうか。そしてこれからどのようにしてそれらと向き合ってゆくのだろうか。東京に住み、車に乗る機会も運転する機会も少ない自分にはわからないことだ。ただ、あまり悲観しないで欲しいとだけ願う。老いに起因する様々な現実からは逃れられないが、思い出は消えたりしない。だから僕は心から祖父に運転お疲れさまでしたと伝えたい。

 

高齢化は社会全体の問題であるが、実感として自身の親族が老いてゆく姿を眺めるのは実に妙な気分である。10年前、一緒に住んでいた曾祖母が他界したとき、はっきりと「家族」というパズルの一部が欠けてしまったと感じた。最期の数年間は施設で過ごし、一緒に過ごす時間はほとんど無くなってしまっていたにも関わらずである。そしていま祖父母たちが、かつての曾祖母の年齢に近づきつつある。そして両親がかつての祖父母たちの年齢に近づきつつある。自分はどうだ、今でも里帰りをすれば子供のように扱ってくる。しかし今や20代後半で「アラサー」と言われる世代になった。確実に老いという現実が家族というパズルを崩しにかかっている。不思議なものだ。自分は子供のままでいるような、そんな気分が続いているのに。

 

ただ自分は、雨が降れば、祖母が買い物に行きたければ、どこかドライブに行きたいと頼めばいつでも喜んで車を出していた祖父が当たり前で、それがいつまでも続くと思っていただけに時間の流れという事実にショックを受けているのだと思う。祖父は足取りが軽く、骨太な佇まいがとても若々しく、傍目には80代には見えない。今も昔もなにも変わっていないように思えるが、確実に老いているのだ。

 

祖父は残された僅かなカーライフをどう過ごすのだろうか?免許の返納日が決まったら、それまでに「今日が最後」だと決めて車の運転をするのだろうか? それは恐らくとても悲しいもので、いろいろな感情を抑えられないと思うが、人生に何かを焼き付けることは大切だ。エンジンの吹け上がり、クラッチがつながる感覚、胸のすく加速、ハンドルを回すフィーリング、連続するカーブと心地の良い遠心力、風を切る音、休日を感じさせる陽気なラジオ、子供のころのいつかのドライブの記憶、青春の日々、家族の思い出も、なんだか人生がすべてそこにあるような気がする。