縦裂FNO

俺はポエマー、すべてイカサマ。

ここで途切れることもある

ただぼーっと天井を眺めては天地がひっくり返る想像をした。屋根を歩き、空に落ちる。右足が電線に引っかかった僕はかろうじて事なきを得た。

4月になった。日曜日の夕方5時半、春の西日は静かに陰り、部屋は薄暗く、開け放った窓からは犬の鳴き声が聞こえる。ソファーに寝そべり、退屈な小説の一文を何度も何度も読んでいるうちに意識までもが陰ってゆく。手から転がり落ちる文庫本、見当たらぬスマホ。今日をやり過ごす惰性と明日を生き抜く忍耐力を寝ぼけ頭で俯瞰する。

 

21時、小銭を握りしめて自販機の前に立つ。よく見ると、はちみつレモンや緑茶などホットの商品が消えている。代わりに入荷されたアイスコーヒーには「準備中」のランプが灯っていた。もうそんな季節かと思い、そうして差し込まれる、来たる季節のイメージ。

「キンキンに冷えたアイスコーヒーを満足気に飲むおれ」

まだそんな季節は少し先だろう、今から夜桜を見に行こうとしているのに。

 

1年前か2年前なのかわからないけれど、サイクリング中に偶然見つけた調布飛行場横の桜並木が忘れられないほどに綺麗だったので、今年も行きたいなと思っているうちにすっかり葉桜となってしまった。自分の行動力の無さを嘆きつつ、ならばせめて近所へ夜桜でもと思い立って日曜日の夜にひとり炭酸のジュースを飲みながら公園まで歩くのである。

目的地へは10分ほどで到着し、誰もいない公園のベンチに腰掛け、水銀灯に照らされた桜を見る。生ぬるい風にさらさらと花弁が舞う。ただなんとなく10分くらいぼーっとして、パシャパシャと写真を撮ってTwitterにあげたり、またベンチでぼーっとしたり、そんなことをしているうちに帰り時がわからなくなってしまった。なんとなく帰りたくない気持ちだけが先走ってそわそわとしたが、ここで何かできるわけでもない。

 

子供のころはもっと春が好きだったような気がする。自分の生まれた記念すべき季節で、新しい環境に一喜一憂して、そんな不安定ささえも膨大な時間の中での些細な気持ちの揺らぎでしかなく、当たり前のように友達や家族と消化されてゆく日々。15年前、リビングのソファに寝そべりながら見上げたどんよりした春の空は、カラスの鳴き声をかき消すように飛行機が飛び、そこはどんなに生き続けようとも到達できない、止まってしまった時間の中にあるようであった。

春霞、遠くの景色はただぼんやりとしている。目の前のことだけが今の季節。そういえばベランダに落ちていた桜の花びらはどこから飛んできたのだろう、家の周りには桜なんてない。