縦裂FNO

VS生活。俺はポエマー

SSSick

今日も仕事が忙しい。だからずっとヘラヘラしている。暇そうな先輩の無駄話にヘラヘラ、上司の冗談にヘラヘラ、顧客からの電話にヘラヘラ、フリーズしまくるノートPCにヘラヘラ、急に冷え込む朝にヘラヘラ。

 

遅い時間まで客先に居座る。20時半、宇宙物理学の演算を行うような座標空間的ロビーから外に出て、目の前の歩道橋を渡っていると誰かの黄色い吐瀉物が乾燥しきって溶けたエイリアンのようにへばりついていた。雨が降れば、またドロドロの吐瀉物に戻るのだろうか。

テクテクテクテクテクと歩く。近づく田町駅、吹き付ける冷たいビル風と、ヘラヘラヘラヘラヘラヘラ笑っているサラリーマンたちが明日に向けての不穏な空気。うごめく雑踏、近代的な高層ビルの裏には廃墟が潜む。巨大なものが朽ちてゆく様は美しい、神秘の感覚は常に曖昧さの中にある、と有名な芸術家が言っていた。誰もいない廃墟の屋上、それでも植木はすくすくと育っている、そんな場所でさえ日は当たるのだ。設置されたままのパラボラアンテナは何を受信しているのか。

 

夜はあっという間に終わり、朝がくる。中央線快速電車、満員の車内では、大きな胸をこれでもかというほどに強調するコスチュームを着た安物のバーチャルユーチューバー動画を見る小太りの中年男、新・人間革命を読む背の低いおばさん、嘘か本当かわからない日記のような、詩のような、小説のような、よくわからない言葉の羅列をスマートフォンに書き留める男。四谷のトンネルを抜けるとき、スマートフォンの通信が途切れ、窓ガラスに自分の顔が映る。お前は今日何を見るのだと自分に問いかける。

 

秋葉原駅ですれ違ったデブの顔がパグに似ていたので、以後すれ違うデブはパグにしか見えなくなってしまい、そのまま出勤。慣れとは怖いもので、会社でパグに話しかけられても特段変だとは思わなくなる。そして昼食はパグと食べた、パグは家系ラーメン大盛りにライス×2杯を時間をゆっくりと平らげた。

「俺ってそんなに食べてないのになんで太るのかな」

これは先日のパグのセリフである。

 

その日の夜は録画しておいたNHKドキュメント72時間を見る。安室奈美恵の引退3日前から特設コーナーを設置していた渋谷109で張り込みを行い、現代にも生き残るアムラーの生態を確認する生々しいドキュメントだ。リアルタイムでも見ていたので2度目の視聴となる。詳細は以下参照されたし。

 

安室奈美恵の引退3日前、渋谷は聖地エルサレムと化していた。道玄坂では沢山のアムラーたちが五体投地を行い、血走る眼で彼女を称え、皆で肩を組みながらアンセムを合唱していたのだ。引退のそのときに向けて確実にボルテージは高まりつつあった。

 

「わたし、シングルマザーで…仕事で辛い時も安室ちゃんのE▶︎▼▽◀︎∃って曲を何度も聴いて本当に助けられて....。安室ちゃんもシングルマザーで同じ境遇だから。励まされるんです。(36歳/女性/歯科助手)」

「わたしは事故が原因で足が不自由になってしまって…でもライブで元気な安室ちゃんを見ていると自分も頑張ろうって気持ちになるんです。(40歳/女性/事務員)」

「安室ちゃんは神なの。だから私は祈るだけ。(52歳/女性/介護職員)」

 

さらに渋谷109の入り口には安室奈美恵の実寸大手形モニュメントが展示されていた。大勢の人々が己の手と安室奈美恵の手形を合わせるために列をなし、最大2時間待ちになろうかという行列を作っていた。

 

「安室ちゃんって手小さかったんだね~。(30歳/女性/公務員)」

「安室ちゃんは私の青春なんです。(38歳/女性/家事手伝い)」

「引退と聞いて、毎日泣いています。(30歳/女性/接客業)」

 

妙齢の女性たちが次々と口を揃えてカメラの前で信仰を説く。安室奈美恵の歌は常に彼女たちに寄り添っていたのだろう。

 

また渋谷109の8階、特設コーナーでは安室奈美恵グッズガチャガチャイベントが並行して開催されており、これもまた非常な賑わいを見せていた。北は北海道、南は沖縄まで、全国各地からもこのガチャガチャの為に訪れた人たちで溢れかえり、阿鼻叫喚の中、皆必死に腕を捻じ曲げる。

 

(省略)

 

そして安室奈美恵は引退した。たくさんの思い出と、感動を残して。(終)』

 

このドキュメンタリーを見て、頭に浮かんだことがある。それは「何かにすがれる人間は強い」ということである。誰しも不条理を抱えてはいるが、世間はそれをひた隠し、その空気は人々をさらに孤独へと追い込む。そんなとき、現実を忘却へと追いやってくれる強い信仰心こそ、我々が生きるために必要なのではないか。現代、冷静かつ現実が見えている理性的な人間が生きて行くことは極めて難しい。

 

夜は長い。NHKのドキュメンタリーを見終わってもまだ朝は来ない。しかしモヤのように漂う眠気が朝を急かす。付けっ放しのテレビ、付けっ放しのパソコン、付けっ放しの照明、付けっ放しのコンタクトレンズ、全ては放置されたまま、朝は来る。