縦裂FNO

VS生活。俺はポエマー

僕は空っぽのペットボトルのような人間です

「ペットボトルのような人間」

僕は空っぽのペットボトルのような人間だと、毎週土曜日の朝、溜めこんだペットボトルを捨てに行ったあと思う。ペットボトルのゴミは非常に場所をとる、中身は空洞で空っぽのくせに、そんなのまるで俺じゃねーかと。

たくさんの人が集まる場所に行くと、僕は存在を薄めようとしてしまう。あまり喋らず、あまり上を向かず、息を潜めて、空っぽのペットボトルのように。そして時折チラリと瞼を開け、よく喋る出しゃばりを見かけては内心小馬鹿にするのである。(そのくせまたその人たちに会ったとき、自分の事を覚えられてないと少し寂しかったりもする。)

とにかく、毎週土曜日に溜まったペットボトルを捨てるのは嫌いじゃない。とてもスッキリするのだ。

 

「走る」

ここ2カ月くらい、週に4日~5日ほど、夜に5km~6km走っている。正直だるいと思う日も多いが、体に鞭を打って走る。別に痩せる必要もない体型だけど、走るということで日常のいろいろな不摂生に対して言い訳にできるからよいのである。お菓子を食べることも、土日にだらだらすることも、全ては走っているからペイできる。それはなかなかに気持ちが良い。それに走るときはスマホも持ち歩かない。情報からシャットアウトされる時間、無心でいる時間、ミニマルミュージックのように繰り返されるリフレインのような生活、「繰り返し」ということこそが気持ちがよいのかもしれない。僕らの小規模な生活、心臓の鼓動を感じて生きていたい。

 

「ずっと一緒にいれたらいいのに」

灰羽連盟』というアニメを見た。要はお勧めなのでHuluにアップロードされているので、加入している人は是非見て頂きたいと言うだけの話であるが。

内容は灰羽と呼ばれる人たちが静かに穏やかに日々を過ごしてゆくだけであり、大きな展開などはない。それでも、どことなく漂う死や別れの予感といった空気が悪夢のように浸食し、眠気を誘う。真夜中にひっそりと、一人で見る為の作品。見終わった頃には生まれおちる喜び、今を生きることの大事さ、死の慰め、そんなことが感じられるのではないでしょうか??