縦裂FNO

VS生活。俺はポエマー

Shogyou mujou.

『不幸を避け、幸福を待つ』

年を超すとき、いつも「来年は誰が死ぬのだろう」と考える。少ししてから、「来年はどんな事件が起こるのだろう」と考える。別に不幸を望んでいるワケじゃない、ただの興味だ。これから来る年を考えるときに「来年はどんな嬉しいことがあるだろう」なんて普通の人は考えないのでは?もう明日から10月だ、答え合わせの時期も近い。

除夜の鐘が鳴り響き、初詣では皆こう考える。

「来年は皆が幸せで良い年でありますように」

「幸福」それはただ、祈りに近く、何もかもが漠然としたこの世界に於いては「不幸」であるべきことのほうが具体的で、かつ多くの註釈がついている。幸福に包まれて恍惚としている状態よりも、我を忘れて皮膚を掻き毟る自分の方が想像しやすいのだ。幸福を求めるのではなく、不幸を避けて生きる。そんな生き方をしている気がする。

 

『台所から水が垂れる音がして眠れない』

つい先日、ニューヨークタイムズに掲載された東日本大震災の写真を見た。体育館に並べられた死体袋、死人の顔は汚れ、突然の事に驚いたまま。ある者は瓦礫の中で涙し、ある者は我が子の亡骸を抱きしめ、ある者はただただ立ち尽くす。これが日本という国の、僅か7年前の姿なのかと驚いた。あまりに原始的で、あまりに無力で、そこには冷たいコンクリートの壁が囲う都会からは想像もうできないほどに多くの感情が渦巻いていた。数々の悲惨な写真からは宗教的な静謐さすら感じられた。現代は無菌室のようなもの、2011年3月11日、日本はあの日のような状況にならなければ感情を発露させることができない。

別にもっと原始的に生きるべきだとかそんなことを言いたいわけではない。ただネットワーク網の発達した時代にどこぞのラーメンが旨いだのそんな話はせんでもいいっちゅう話で、家の花壇にデカイ鼠がいたとか、庭の金木犀から良い匂いするとか、近所のバイク屋が潰れていたとか電柱に赤い風船が引っ掛かっていたとか、友達が性病にかかったとか、そんな話の方が大事なのではと言いたいだけだ。細部を見ようとしない世の中、ディティールにこだわるだけで薄気味悪い顔をされ、今夜は星が綺麗だと言えばポエマー扱い。今夜は台風です。

 

OMOIDE IN MY HEAD状態』

最近Number Girlを聴いている。高校生から大学生にかけて飽きるほど聴いたバンド、やっぱり最高にかっこいい。『Tattooあり』『鉄風、鋭くなって』『透明少女』『Num-Ami-Dabutz』そして『OMOIDE IN MY HEAD』などなど。このバンドを好きにならなければThe Pop Groupも聴いていなかったわけで、それはつまりポストパンクやNew Wave /No Wave系の音楽も聴かなかっただろうし、Dry & Heavyaudio activeなどのダブも聴かなかったということ。このバンドで僕の好みが決定されたと言っても良い。

歳をとるほどに新しい音楽を聴かなくなるという統計があるらしい。でもそんなことはどうでもいい、好きな物の中に没入していて何が悪い。そんなことをいちいち指摘されることがまさに「冷凍都市の暮らし」である。