縦裂FNO

俺はポエマー、すべてイカサマ。

飽和するアナログ

ITの仕事をしているとITに関する技術が恨めしく思えてくる。というのも世の中を便利にする為のIT、しかしそれを構築する側としては導入後にシステムを管理しなくちゃならないワケで仕事がどんどん増えてしまうからだ。

ならばシステムを構築したあとに、そのシステムを自動で保守するシステムを作る必要がある。要は人間が完璧に作り出したAIが自らの欠点を補完したさらに高度なAIを作り出す、シンギュラリティの到来ような時代が必要なのである。

土曜日の夜、ここ最近にしては冷たい風が吹き付ける中、僕は新宿へ出向き買い物をする。同伴者から「腹が減ったよ」と言われたので歌舞伎町付近の古めかしい沖縄料理屋に入る。カウンターのみの狭い店内、開け放たれたドア付近だけがポツリと空いていたので、ソーキそばの食券を手にそこへ腰掛ける。へい、おまち、この店はたまに利用するものの初めて食べるソーキそば、肉は柔らかくて美味しいが、軟骨が凄まじい。ストローのような軟骨がたくさん入っている。これは食べて良いのだろうか?味は単純だけど複雑な食感。箸で肉をばらしているとだんだんと気持ち悪くなってきた。とりあえず七味をドバッと入れて麺をハムハムと食べる(啜れない)。背中からは冷たい風と人ごみの喧騒、ネオンの輝きと高層ビルの圧力。僕はこの場所でITの時代の中でもアナログに対する需要を感じた。食べることもアナログだ。ゴーヤを炒める火も、煙もアナログ。アナログである人間のデジタルへの希求、しかし切り離せぬアナログへの生理的欲求。こうしている間にもスーパーコンピュータは指数関数的に進化する。二の二乗、二の三乗、二の四乗...。

やっぱりラフテーそばの方がいい、同伴者は言う。自分も昔そうだった、クセがあって食べにくい、だからあんたじゃ食べれないと思ったよ、じゃあなんで早く言わないんだ?僕らはアナログだから記憶の並列化なんてできやしない。僕は今こうしてアナログな記憶をデジタルな空間に書き留める。記憶のデジタル化、読者との共有、経験への足掛かり。

冷たい風を押しのけ外へ出る。新宿はいつもざわめきが飽和している。つまり人も飽和している。押しのけるのは風だけではない。