縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

どうせやる気なし

いつの間にか夏が始まっているように、いつの間にか夏は終わっている。季節の境目が曖昧だから、寒かったり暑かったりでノスタルジックな気分になる。いつも今とは違う季節を思い出している。

夏に追いすがるかのようにして白球を追いかけた球児たちの夢は消え、心地よい惰性に人生を乗せて生きる秋。今は通り過ぎたものを思い返すだけの時期。半笑いでやり過ごす憂鬱な季節。

夏が好きなのは木々の緑が豊かだからだとか言っていた。確かに、風でざわつく葉っぱの音も、どこか生き生きとしている。嫌な虫が多いのも、生命力に溢れている証。

良い年にするよ、良いことがあるといいね、みんな幸せだといいね、今年の初め、凍える両手を擦り、息を吐き掛けながら祈った。その祈りは真っ白な画用紙みたいに混じり気が無かったし、世間は多少のこっぱずかしさすら許容してくれる空気もあった。そうして希望だとか願望だとか祈りだとかそんなものが矢の如く日々をつらぬき通して行ったが、もはやその推進力は失われてしまった。長期的な目標など目先のつまらない出来事で覆い隠され、今や遠く霞んでいる。世界中のパンが同じ味であるならば、目の前にある、たった1個のパンだけ齧れば良い。それで世界を知ったも同然。だが現実はどうか。何を良しとして、満足して、納得して、いったい何が妥協だと言うのか。多様性に溺れて死ぬ時代。

缶ジュースを飲み干すために空を見上げなければ今や太陽が世を照らしていることすら思い出さない。惰性で生きる秋だからしょうがない。そして枯渇してゆく生命力、木々は死に、緑は枯れる。太陽は遠く、高く登ってしまった。もはや手の届くところにはない。

仕事帰り、夜風は心が痛むほどに冷たい。夜の東京に灯るビルの赤い光は、寒々とした人の心を暖めることなどない。それは亡霊の睨みか、なにか、そんな悪いもののよう。