縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

自己完結の果て

 これは今朝がた、某SNSでも書いたことなのだが、通勤中に「仕事に行きたくない」「このままどこか行きたい」と感じるのは誰にでも良くあることで、皆思っていることである。ただ、それはなかなか実行に移せるものではなく、人々は群れをなして仕方なく職場へと向かわざるを得ない。

 

 ただここでひとつ気をつけておきたいのは、そういった気分を指して「これが人生だ」と思っては駄目なのではないかということ。なんとなくそれを許容してしまったら己の人生が労働に染まってしまうのではないか、そんな不安と懸念が僕にはある。

 

 悪意だけを真実とした行い、たとえば通行人を無差別に切りつける通り魔、その犯人が心の中に潜め隠しているものは「仕事に行きたくない」「このままどこかへ行きたい」という気持ちとなんら変わりない気がする。対話から孤立し、自分自身だけが世界のすべてとなったとき、犯行は行われるだろう。そして人は死ぬ、僕は仕事をサボる。これは凄まじい程に高純度な真実。なぜなら自分だけの真実であるからだ。他人が向ける視線によって歪む秩序など何ひとつ無い。全ては己の中だけで完結する。

 

 お金とは労働の対価、いや、我慢の対価。友達を、家族を、知り合いを安心させる為の我慢、その対価。だがこれは自分が決めた価値ではない。

 

 ああ、早く今日が終われと祈りの姿勢でデスクに腰掛け、待ちに待った束の間の休息は、再び抱え込む不安への準備期間となり、明日もまた、眩しい朝日を憎悪するのである。そんな僕はニートよりも無職よりも死刑囚よりも、世界の誰よりも不真面目である。