縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

ソドムとゴモラ

雨が降ってきたな、そう思って傘を開く、耳にはイヤホン。

車のヘッドライトは少しだけ大げさに雨を照らす傾向がある。実際はそんなに降っていないのに、その灯りは降りしきる雨を直線的に、地面に刺さるように直進しているように見せかける。鋭利ですらある。

音楽を聴いていれば雨が傘を叩く音など聞こえない。バラバラバラバラと鳴るあの音はやっぱり好きにはなれない。だから音楽を聴いているというのに、帰りついた頃にはいつも以上にびしょ濡れになっている。「濡れるからきをつけろよ」という警告音みたいなものなのだろうか、バラバラ鳴るあの音は。音楽と傘の角度の関係性....。

「雨が降り始めたときっていい匂いするよね」このセリフはきっと複数人から、複数回聞いた。果たして本当にそうだろうか?埃の匂いなのに?雨で地面が冷えるとなぜか立ちこめる土埃の匂い。埃っぽくない場所で埃の匂いがするといい匂いだなって思うのだろうか。

コンビニ袋を傘の柄にかける。両手を塞ぎたくないからそうしているのだけどやっぱり重いからって途中でそれをやめる。濡れること以上に手が塞がるというのはかなりのストレスになる。

鳥の鳴き声が聞こえると、雨がやんだのかと思ってしまう。それで窓を開けても、だいたいは変わらず降り続けている。

ブライアン・イーノを聴きながらだと雨音も穏やかなものになる、そう聞いたことがある。これが環境音楽の効用だと、平穏が訪れる音だと。それは本当か、無感情とセンチメンタリズムのギリギリのラインを攻める音がブライアン・イーノ。彼の音楽はビートが無いから自然の音に溶け込む。溶け込むけれど、感情はやっぱり聴いていないときとは違う。言いたいことはわからない。