縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

冬はつとめて。

 

 どうも冬になってからというもの、毎朝4時~5時の間に必ず目が覚める癖がついてしまった。この冬に限って言えばのことだが、今のところ朝まで一度も目覚めずにぐっすり眠れたという記憶がない。理由ははっきりしている。寒いからだ。

 僕は毎朝4時半ごろにいそいそと起きてはピッと暖房のスイッチを入れ、トイレへ行く。そして凍りついたように冷たい朝の空気が再び僕を布団に潜らせる。

 タイマーを設定しておけよ!そう思われるかもしれない。実際家の人にもそう言われた。だが僕の部屋の暖房は低スペックなので、タイマーは毎回設定しなければならない。それが非常にめんどくさい。起動タイマーの設定なんて1分もあれば済むことではあるが、毎晩寝る前にそんなことをするくらいなら朝寒くて目が覚めたほうがマシかなと思ってしまう。

 Twitterには何度か書いたが、冷暖房の「ゴーッ」という排気音は眠気を誘う。それはどこか街における朝の喧騒にも似ている。人や車、電車や、天気が、草や木が立てる朝の音。都会の音。僕は東京に毒されているのかもしれないが、それらの音はずっと昔から今の今まで途切れることなく連なっている日々を、営みを証明するものであり、ある意味では「自然」の一種でもあるように感じる。都会ならではのインダストリアルなサウンドも僕にとってはとてもナチュラルなものなのだ。

 確かに毎日早朝に暖房のスイッチを入れるのは面倒だし、なにより寒くて息を吸う度に肺が凍りつきそうになる。そのことが安定した眠りを阻害している。しかし、僕はきっとこの暖房の音と実際に街が動き出す音が重なって区別がつかなくなってゆく過程が好きなのだ。朝のまどろみの中ではっきりとは自覚できないが、きっとそうだ。そうして僕の意識は朝日と共に街へと歩みを進め、混ざり合い、再び眠りの世界へ引き寄せられる。アラームが鳴るまでは。