縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

評判の弊害

 ある日、僕はふと映画が観たいと思い、某大手レンタルショップへ立ち寄った。ある程度は何が観たいか、というものが自分の中で決めてあったというか、既にイメージがあったので、棚からいくつかの映画を手に取り、パッケージや裏面をまじまじと眺めては選定に取り掛かり始めた。

 迷うこと数分、2本借りる、ということは決めていたので、候補の4作品から2つに絞ることとなった。4本全部借りればいいじゃないか、と言う人もいるかもしれないが、映画は気分が乗らないと観る気がしないものだし、途中で寝てしまう可能性も考えると、週に2本の鑑賞が限界であると感じている(過去毎日1本観ていた時期もあるが…)。借りた映画を観ることなく返却するというのは、その時の「映画を観たい」という気分にお金を払っているようなものだし、買っただけで読むこと無く積んでゆく本に近い感覚がある。むしろ返却しなきゃならない点ではもっとたちの悪いものだ。300円程度だとしても、お金をそのようなことで無駄にしてはならない。

 なかなか観る映画を絞りきれない僕はスマホを取り出し、アマゾンや映画のレビューサイトを漁り始める。本当はこういうことしたくないんだけどなぁ、と考えながらも候補である作品の評判を眺める。すると、案の定というか、解りきってはいたが「気分的にはこの作品に気持ちが傾いていたけど、評判はこっちの作品のほうが良いなぁ…」という、さらに捻じれてややこしくなった状況に追い込まれた。「自分の勘vs世間の評判」というわけだ。

 「世間の評判」というのはあまり好ましいものでもない気がする。近年はボロ小屋みたいな佇まいの、入るのもはばかられるような飲食店でもネットにレビューが掲載されていたりする。つまり、実際に行かずとも「おいしい」「まずい」「サービスが悪い」「つまらない」などといった情報が事前にわかってしまい、「自分の感性」に当てはめて物事を選ぶのではなく、「世間」に合わせて物事を選んでしまっているのだ。

 お金を払う以上誰しも失敗はしたくないものだし、それを事前に防ぐというのは悪いことでもないのだが、なんでもかんでも「即効性」や「効率」を求めてしまうことにふと、何とも言えぬ嫌悪感を覚えてしまう。

 僕はとりあえず、レビューサイトで最も評判が良い作品一つと、自分の今の気分に最も即していると思われる作品を一つ選び出してレジに持っていった。要するに間をとったわけだ。

 また返す時に、今回は選ばれなかったものの、候補だった別の作品借りようとも考えたが、来週の自分がどんな気分かなど、想像もできないので、やはりまた同じように迷うのだろうし、そういう意味では一期一会的な感覚として絶対に妥協はできないのだ。