縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

新年のご挨拶

 

 クリスマスが終われば世間は急速に年末の空気を放ち、人々はいろいろな物事を「納め」、メディアは1年を「まとめ」始める。たしかに世間がそういう空気を醸せば僕自身、意識せずともその年を振り返って、来る新しい年に空想や期待を重ねてしまうが、時間の概念的には12月31日と1月1日は単に「今日」と「明日」、「昨日」と「今日」の関係でしかない。

 地続きの人生を、終わりのない世間を、何かの節目で区切るというのは、一体どのような意味があるのだろうか。心機一転の為だろうか、政治の為だろうか、経済の為だろうか、僕はいろいろ考えてみたが、要するにそれは「歴史」の為である気がする。

 老人は「ずっと昔のことだ」と語る。区切る必要がないからだ。時代も、年齢も、西暦も。それらすべてを含んで人生という1本道であるならば、見つめなおす過去の人生の時間軸など大した意味はない。

 初日の出が、明日の日の出より美しいわけではないのだ。

 

 ということで、ことしもよろしくお願いします。