縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

(小説)ST∃M

 

 ある日、見慣れたはずの高級中華料理店は、ただの壁になっていた。

「そんなはずはない」わたしはそう思ったが、かといって確実にそこにあったという確信は持てなかった。ただ、過去にその店で一度だけコース料理を食べたことがあるという記憶だけが、その存在のより深い証明であったが、今や壁となった「そこにあったかもしれないもの」を見つめていると、その記憶もぐにゃりと曲がり、傾いた。

 このことに関して、わたしの最終的な判断は「どうでもいい」というものだ。ただなんとなく、その店の前を通る度にそこに中華料理屋があったような気がしていただけだし、加えて「行ったことがある」、そんな気がしていただけだ。もし、わたしが知人から「いつもそこにあったお店が、ある日壁になっていた」と聞かされれば、わたしは驚きの表情をしてみせ、根掘り葉掘り詳しくそのことを聞き出すだろう。だが、いざ自分の身にそのような出来事が降りかかってきたからといって、秒をおって過去を生み出しつつある現在進行形のこの人生に、今この時のような摩訶不思議な出来事が、歪められた過去を内包する現在として未来との間に切り込んでこようが、このわたしの人生における前後の文脈に特に変化は認められそうにもなかった。要するに「どうでもいい」のだ。

 わたしはその足で駅の近くにあるカフェに入ると、熱く濃いシアトル系のブラックコーヒーを飲んだ。ソファに腰を下ろし、しばらくはスマートフォンで今日一日のニュースを眺めて時間を潰したが、他にやるべきことも見当たらなくなって、そろそろ店を出ようかとしたその時、隣に座っていた20代前半の女性が、テーブルの上にあったココアの入った紙コップを勢いよく倒した。ココアはテーブルの上にさらりと広がり、その最前線は勢いそのままにテーブルの縁から滝のように滴り落ち、正方形のマス目に区画された石造りの床にココアの水たまり2号を作った。ぴちゃん、ぴちゃん、その後もココアは音を立てながら等間隔でテーブルから床に滴り落ちる。わたしはそれをじっと見つめる。ぴちゃん、ぴちゃん。ココアは、床の溝の上を、導火線を伝うようにゆっくりと流れ徐々に私に近づいてくる。私は荷物をまとめ素早く店を出た。

 ふと目が覚めたとき、その時間がまだ響き渡るアラームによりいそいそと起きなければならない時間より数時間も前の、深夜と朝の中間に位置する時間であることを、わたしは即座に理解した。わたしはあまりにも眩しい月明りで目覚めてしまったのだ。コンタクトをしていない眼球は、月の輪郭を消して、放射状に伸びた黄色い光によりそれが円形であることをわたしに見せた。布団に深く潜り込む。それでもなぜか、月明りに「晒されている」という感覚に陥った。消防車と救急車のサイレンは、反響音を残して静かに遠くへ消えてゆくのではなく、わたしの耳元でなり続けた。

「ヤニリ町で火事があったそうよ。あの公民館の裏」

「ほほ。やはり夢ではなかったのか」

 帰り道。日も暮れて辺りが薄暗くなってきた頃、わたしは少し遠回りをして火事の起きたヤニリ町を通る。辺りを見回すと、公民館の裏手の少し奥まったところにあるアパートが半焼していた。わたしはその焼け跡を見てぞっとした。黒く焦げたアパートは、まるで蓋骨が叫んでいるようであった。辺りの薄暗さもあってか、その焼け跡は不気味な雰囲気を醸し出し、焼け爛れた窓やベランダは深い深淵となって、声ならぬ叫びを響き渡らせていた。わたしは急いでその場から立ち去った。

「あんた、はやくでないと遅刻するよ!」とは母。

 見慣れた顔が視聴者に挨拶をする。「おはようございます!」朝のニュース番組が始まった。つまり時刻は朝の8時00分。到着目標は8時20分。目的地まで徒歩18分。わたしは少し急いで靴を履き、玄関の扉を開ける。ドアの取手は酷く冷たかった。

 目的地に着いたとき、わたしの腕時計もスマートフォンも、8時02分という時刻を示していた。

 「今日はね、1日が23時間と42分なんだって。昨日の火事で軸がずれたのが原因だってパパが言ってた」

 9時間後、わたしは「もう随分と長いこと湯船にお湯を張っていないなぁ」と思った。

「よし、今夜はあつあつのお風呂につかるぞ!」

「風呂桶は持っているのかい?プラスチック製のさ?」

「ない」

 ホームセンターに着いたわたしは、プラスチック製の浅く広い風呂桶を2つ購入し、そのなかに財布を入れて家まで帰った。

「まるで銭湯に行く人みたい」

「帰りかもしれないよ」

 37℃のお湯はぬるすぎてつかることができなかった。そこでわたしは風呂桶を2つ湯船に浮かべる。ひとつにはシャワーから熱々(約45℃)のお湯を注ぎ、もうひとつには冷たい真水を入れた。わたしはそれをにこやかに見つめる。熱々のお湯が入った風呂桶は、プラスチックの壁に遮られているとはいえ37℃(それもさらに冷めつつある)のぬるいお湯に囲われていることで徐々に熱を失うだろう。対して、真水の入った風呂桶はぬるま湯といえども、37℃のお湯に囲われて徐々に熱されてゆくだろう。そして二つとも同じ温度になるのだろうか。わたしは服を脱いでいなかった。

 

 これは2年前に書いた文ですね。意味わかんないですね(実はわかってる)。USBのファイル漁ってたら出てきたものです。なんか勿体ないので載せました。