縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

小説 『羽田で息を吐く』

「見送るのはいつだって僕の方だ」

 
 羽田空港の屋上デッキで、どんよりと曇った空へ吸い込まれるように消えてゆく飛行機を眺めながら僕はそう思った。僕はここに居続ける。どこにも行けやしないのだ。思い返せば、ずっと昔もそう考えていた気がする。たぶんこれからもそうなのだろう。去る悲しみと去られる悲しみ。似て非なるこの悲しみはいつも僕を苦しめる。
  
 
 空港という場所は賑やかなものだ。機内へ荷物を預ける人々の行列は途切れる事がなく、ロビーでは多くのお土産屋が立ち並び、飲食店では皆が時間を気にしつつ素早く食事を取っていた。僕は3階のカフェテラスでコーヒーを飲みながら、ひとつ下の階で搭乗手続きをしている人々を眼下に眺め、彼女の話をおぼろげに聞いていた。コーヒーは濃すぎで胃はムカムカし、店員に飲ませてやりたいもんだと思った。
  ここにいる多くの人たちと違い、僕には行くところも無ければ気にするような時間も無い。僕は彼女を見送るだけなのだ。僕にとってはこの賑やかなお土産屋も飲食店もただ「別れ」を待つ場所に過ぎない。間も無くやってくるその時までの僅かな猶予。彼女は熱心に何かを話しているが、一向に頭に入ってこない。僕の胃は濃いコーヒーによる気持ち悪さに寂しさが混じり合い、どうにかしてくれと叫んでいた。
  
 
 --------そろそろ時間だ。行かなきゃ。
 
 
 コーヒーはまだ少しだけ残っていたが、僕らはそれをいそいそと片付けエスカレーターを降りて保安検査場へ向かう。
  搭乗口に一番近い保安検査場に着くと、あとはもうゲートをくぐるだけとなった。彼女は急にかしこまった様子になり、少し困った顔で僕に別れを告げる。
  
 
 --------さて、じゃあ行ってきます。今回もお世話になりました。また私が来た時はよろしくね。あっちに着いたら連絡するから。 
  
 
 口をついて出るのは、ありきたりな言葉、気をつけて、元気でね、しかし他に言うべき言葉も見当たらず、僕はなぜか照れ笑いをしている。でも他にどんな顔をしたら良いのだろう。なんと言えば良いのだろう。実際はわかっている。別れは辛いと言いたい。行かないでほしいと言いたい。もしくは僕も行きたいと告げたい。でもそんなことは無理だと知っているし、照れくささが邪魔をする。照れ笑いは素直な気持ちの表れなのだ。そして誰もがそれを察してくれる。辛くもあるが、少しだけ優しい時間なのだ。
  彼女は短く息を吐き出し、少しだけ微笑むと、僕に背を向け保安検査場の中へと入ってゆく。姿は見えているが、もう会話をすることはできない。ただただ見守ることしかできない。彼女は荷物をベルトコンベアに載せると、セキュリティゲートをくぐる。無事に荷物を受け取ると、最後にこちらを振り返り、笑顔で僕に手を振った。その後はもうこちらに視線を寄こすこともなかった。
 
 『あぁ、また一人だ。また取り残されてしまった。』賑やかな館内がその寂しさを一層引き立てる。僕はもはやここにある施設に何一つ用事はないし、誰も僕に用事などは無い。後はまたいつもの生活へ戻るだけだ。もう隣には誰もいないのだ。つまりは僕がここでしていることや、考えていることなど今や誰も知りやしないのだ。取り残されるとはこういうことなのだ。
  はやいところ気持ちを切り替えようと、帰りの京急線乗り場まで直行しようとしていたが、名残惜しさが僕を引き止める。この、ふつふつと沸き立つ寂しさを、そして孤独を一刻も早く忘れたいはずなのに、なぜこの場に踏みとどまっていたくなるのだろう。
  僕は自販機でC.C.レモンを買うと、一口だけ飲んでエスカレーターで5階へ向かう。そこは屋上デッキへ続く道が二手に分かれていて、右に行くと横浜方面、左に行くと東京方面の屋上へ出られる。僕はなんとなく左側、東京方面の屋上へ行くことにした。屋上までの通路はソファーが並べられ、やることの無い人たちが思い思いに好きなことをして暇をつぶしていた。
  屋上へ出た途端、飛行機の轟音が僕の耳をつんざく。辺りはもう薄暗く、日が暮れようとしていた。風に乗って漂うガソリンの匂い、甲高い音で唸るエンジン、遠くに眺める東京の夜景、ゲートブリッジは薄暗闇の中に白く輝き、すぐ隣には葛西臨海公園の観覧車が見える。低く立ち込めた雲は僕に作り物の空を連想させ、ドームの中にいるような錯覚を引き起こす。僕は迷路のように複雑に張り巡らされた滑走路を飛行機が次々と飛び立って行く様子を長い時間眺めていた。
 ふと時計を見たとき、辺りはすっかり夜に包まれていた。彼女が乗った飛行機はもうとっくに飛び立った時間であったが、それでも僕はこの場を離れることができないでいた。僕はまたここにいる。作った覚えの無いしがらみが僕をこの場所に押しとどめる。見送るのはいつだって僕なのだ。
  
 
 小学生の頃、窓際の席に座っていた僕は授業中にふと空を見上げると、遥か上空に飛行機が小さく飛んでいるのを見つけた。その時に思ったのは、僕がこうして平日に授業を受けている間にも、どこか遠くへ飛び立つ人、どこか遠くからやってくる人がいるのだということ。それは僕の知らない遠い世界のことのように感じられたし、どこにも行けず、ここにいるしかない僕の生活はなんとつまらないのだろうとも思った。旅への欲求というものは、いつだって抗い難いものなのだ。
 
 そして僕は今もここにいる。品川駅のホームに降り立った僕はもうこれまでの日常に溶け込んでいた。
 
 
 
あとがき
 10月23日金曜日、僕は空港にいました。そのときに屋上で約90分ほどで一気に書き上げました。2200字と言えど遅筆な僕にしてははやいのです。テーマが割と直球なので、それを恥ずかしがって変に言葉をこねくり回したり、ごまかしたりしたくなかったので難しい言葉は使わずに素直に書きました。見送る側は辛いのです。それだけです。
 ちなみに僕がその日空港にいた理由は見送りではありません。