縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

書くことに理由は必要だ

 

 なぜ書くか、それは数えきれないほどの多くの作家が語っている事柄であり、今更ただの素人であるぼくが語る事でもない。

 ただ最近更新していないこのブログの「つなぎ」の為にその理由を書きたい。本当に酷い理由だが、大して読まれもしないこのブログと言えど長く更新していないと罪悪感も沸いて出てくるものなのだ。もちろんそれは自分に対してである。例えるならば、引きこもりが長く言葉を発していないと自分が誰にも、そして社会にも必要とされていない現状にも関わらず罪悪感を感じてしまうようなものだ。もちろんそれも自分に対しての罪悪感だ。.....そこはかとない焦り、いらだち、それは「繋がりを無為に断ってはならない」というものが根底にあるからに違いない。

 では「なぜ書くか」それは現状「自分が読みたい」からである。歩いていたり、食事していたりお風呂に入っていたりするときにふと頭に浮かぶ様々な考え、これらは自分の脳内にあるからこそなんとなくイメージできるものだが、いざ言葉にするとそれらがまだ言葉としてまとまりを持っておらず形の無いギクシャクしたものであることに気付く。我々は常に物事の断片しか拾い集めていないからだ。それを「言葉」としてしっかりとパッケージングする作業、それが現状自分の「なぜ書くか」の理由である。自分の言葉を自分が読んで、自分を再確認しているわけだ。

 書くという作業は自分と距離をとる作業に他ならない。イメージを次々と言葉として紡ぎだしてゆくと自然と自分の考えがまとまりを帯びて、それそのものが書き手である「自分」を離れ、初めて客観性を持つに至る。それは自分と距離を取り見つめなおす作業である。もちろん「書く」ということの根底に「伝えたい」という願望のようなものがあるのは否めないが、それはこの自分と距離を置いて客観性を持ったイメージのその先にあるものだ。そしてそれがぼくの目指すところでもある。自分がどんな事を考えどんなことを伝えなければならないのか、そういった事もわからないままに物事を伝えることはできない。そのような状態で紡ぎだされた言葉などただの虚像に過ぎない。ここまで言いきったのだから自分に頑張れと言いたい。

 

 (現在短い小説を書いております。終わりかけの状態でしたが、見直しの最中にとある矛盾に気づき大幅に書き直しております。いつ完成するかもわからなくなってしまいましたが近いうちに必ず完成させますのでその際は是非読んでほしいです。)