縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

映画は男向け?

 

 最近なかなか面白い映画論文を読んだので、分かりやすかった部分をちょっと紹介。その論文で語られている事は「映画は男向けだ!ふざけるな!」というもの。

 

覗き見る対象としての女性

 まず、映画がなぜ楽しいかということを考えると、それは「覗き」という行為だからだ。僕たちは、物語に登場しない第三者の視点として「カメラの映像」を見ている。その第三者は敵に攻撃させることもなければ、味方に話しかけられることもない。完全に無視されている存在なのだ。(ウディ・アレンのような例外もあるが)つまり、映画の中では好みの女性を好きなだけ眺めようが、シャワーシーンで裸を見ようが誰にも咎められることがないわけだ。これはいわば許された「覗き」なのだ。ただこの「覗き」による楽しみは、女性を「見世物」として扱っていることになる。

 

同化

 次に、映画は主人公と自分を同化させて楽しむものという点。映画は主人公が男という作品が圧倒的に多いので、主人公が最終的にヒロインと結ばれる展開があったとすれば、それは、観客(男)もそのヒロインと結ばれるような錯覚を起こすのだ。分かりやすい例を挙げるとすれば、ヒロインが2人以上出てくるハーレムものの作品があったとして、その中で主人公が自分のお気に入りのヒロインと結ばれれば嬉しいだろうし、そうでなければがっかりするはずだ。それは結局自分が主人公と同化しているからだ。(つまり恋愛シュミレーションゲームは登場するすべてのヒロインを手に入れる事ができるわけなので、この「同化」を最大限に利用して、極北に位置するものだ)

 

 この論文が書かれたのは何十年も昔なので、女性向けの作品が山のようにある現在とは事情が異なるけども、「言われてみれば」と感じる要素は多い。だが、結局この論文が言いたいのは第三者というカメラの視点から偏ったセクシュアリティの要素を排除し、もっと開かれたものにしろということだ。ただ、僕個人の意見としては、やはり登場人物に同化して物語に没頭したい。同化できなければ、映画を観る者はただスクリーンやテレビの前に置き去りにされてしまう。誰の視点にも依らず冷静に物語を眺めるという鑑賞の仕方もあるが、僕は没頭したいのだ。映画が非現実である以上、それを楽しみたいのだ。映画の中に、現実世界の居心地の悪さを持ちこんではならない。(たまにはそんな作品も観てみたいけど)