ドレスデン・ホロコースト
恐らくこのドレスデン爆撃ほど徹底された爆撃は他に無い。とてつもない爆撃の後に、街をうろついていた生存者までをも機銃掃射で撃ち殺したのだ。例えるなら、人々が平和にのんびりと暮らしてるのどかな村や町内に100発以上のミサイルを打ちこんで破壊の限りを尽くすような爆撃だ。ドレスデンの街の85パーセントは焼失してしまった。ヴォネガットによると、爆撃後、遺体の搬出、埋葬が追いつかないため火炎放射気で一気に火葬したそうだ。想像するのも痛ましい光景である。
しかしなぜこの爆撃は認知度が低いのか------それはこの爆撃はあまりにも謎が多いからだ。上記したように、ソ連を牽制するというのがこの爆撃の目的と言われているが、正確な理由はわかっていない。当事者も硬く口を閉ざしてしまっているのだ。ソ連に軍事力を見せつけるためだけに15万人とも言われる人々が殺戮されたのだろうか。これだけの大規模な爆撃にも関わらず、この事実は一般の人々に知られることは無く、1969年に出版された『スローターハウス5』によってようやく国際的認知を得た。
実はこのドレスデンの爆撃、日本とは無関係とは言えないところがある。というもの、この爆撃があったからこそ京都への原子爆弾の投下案が却下されたとも言われているのだ。
原爆を投下する際、どの場所にするかというのは当初20か所ほど候補があったが、京都はAA地として最終候補まで残っていた。その理由は京都が盆地であったからだ。マンハッタン計画に携わった研究者たちはこの「盆地での爆撃効果」に強い関心を持っていた。そのため、歴史ある京都の街を破壊してでも京都に原爆を落とすべきだと主張する上層部の人間は少なくなかったという。ただ、先のドレスデン爆撃で歴史的価値の高い古都を破壊したことに対する国際的非難は強かった。それに続く形となる京都への原爆投下はさらなる非難の対象となるため、国の体裁のためにもアメリカは京都を候補から外したのではないかというものだ。
こうしてみると、歴史と言うのは全てが繋がっている。タラレバではあるが、もしドレスデンへの爆撃が無かったなら....と考えると、やはり恐ろしいものだ。だからといって僕たちはドレスデンでの人々の死が「必要」なものであったかなどは考える必要は無い。我々は死者に対して、その悲しみのためだけに、ただ祈れば良いのだ。惨劇が起きて「良かった」などということはない。