縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

眠ることへの恐怖心

 

 変な話だが、僕は悪夢を見るときはそれが事前にわかる。

 眠気というのは一種の快楽だ。息を吸い、そして吐き出す度に心地よい吐き気のような感覚が全身に巡り、だんだんと体が泥に沈むように重くなってゆく。通常ならばこの段階で意識が朦朧としてきて、頭の中に描いた想像が、夢への導入として自我のコントロールから外れてゆく。(この時にハッと目覚めると、寝る前、横になって考えていた事がなんとも奇天烈な想像へと変わっていることに驚かされる)

 しかしだ、いくら体が疲れ即座に眠りに落ちることを要求しようとも意識がそれを拒むことがある。体は鉛のようにずっしりと、上記したような状態になるが、意識がはっきりしたままなのだ。僕はこの時に決まって悪夢を見る。

 人間はいつ、どの瞬間に眠りに落ちたかを知ることはできない。気がつくと眠っている。ただ、僕が悪夢を見るときは鮮明な意識があるので、自分が間もなく眠りに落ちるということがわかりつつも、現実が遮断され、睡眠へと切り替わるポイントのようなものがなんとなくわかってしまう。すると「今この瞬間、このポイントで眠りに落ちてしまったら、次に自我を持てるのは数時間後」という事を考えてしまう。つまり、眠りに落ちる瞬間がわかってしまうだけに、一瞬で朝が来るような気がして恐怖してしまうのだ。まるで時間が飛ぶような、時間がカットされる感覚、さらに言ってしまえば、それは眠るというより気絶させられるような感覚なのだ。「無」という言葉が頭をよぎる。

 想像してほしい、例えば4~6時間休むことなく何か(「それ」)を続けるのは誰にだって辛いものだ。だが、「それ」を開始した瞬間、既に「それ」が終わっていたらどうだろうか。「それ」をやった記憶は無いが、「それ」は確かに終わっている。時間だけが過ぎている。

 そして僕は悪夢を見る。一瞬で朝がくることは無く、やはり夢を見るのだ。眠ることへの恐怖心が悪夢を導くのか、なにか不思議な法則があるのか、それはわからない。だが、多くの場合僕は悪夢を見る。筆舌に尽くしがたい悪夢を見る。そして飛び起きる。時計を見るとまだ眠りに落ちてまだ30分程度しか経っていない。

 僕は激しく脈打つ心臓を落ちつかせる為、再び横になる。こんなことなら無理に寝るんじゃなかったなどと考えつつも、先ほどの悪夢を冷静に、ゆっくりと反芻する。するといつの間にかケータイのアラームがけたたましく鳴っているのだ。