縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

青春への決別

 

 人間はいつ、「青春が終わった」と感じるのだろう。僕はこの問を何人かの知り合いに尋ねたことがあるが、「10代まで」と答える人もいれば、「大学を卒業したら」、「30代になったら」と答えは人によってばらばらだった。

 三島由紀夫は『潮騒』を29歳で、村上春樹も同じく『風の歌を聴け』を29歳で、太宰治は32歳で『東京八景』を青春への決別として書いている。となると男の場合、30歳前後で自分の青春は終わったのだと感じるのだろうか。

 恐らく人は25歳~27歳になっても心の奥ではまだ青春というものに諦めがついていないのだと思う。多くの人は映画やドラマ、漫画やアニメで見るような輝かしい青春を経験することはないし、20代半ばに差し掛かれば部活やサークル、学校という場においてそんな青く甘酸っぱい青春を取り戻すことはできない。だが、仕事やプライベートという面において、それらを代替し、まだ青春を体感できると感じるのだろう。何かを諦めるという事は、まだ20代には若すぎる。そして30歳前後で初めて、諦めというものを穏やかに迎える事が出来るのだろう。

 「青春」のように境界線のはっきりしない物事についての諦めは、普段特に意識しないためか身を削り取られるような痛みはないし、日々苦々しく思うこともない。ただ、ふとした時に感じる喪失感は、なんとも言いようのない深い悲しみがある。

 生物学的に「成長」から「老い」に切り替われば、当たり前のように流れゆく時間が、これまで自分に「希望」を与えていたのに、少しずつ可能性を削り取ってゆく存在になるというのはなんとも切ないことだ。自分はまだ20代前半なのでここに書いたことは想像にすぎない。しかしこれを書きながら少しでも時間を喰いとめるように日々を過ごしたいと思った。