夏はよく人が死ぬ 中編
父とプールに向かう道中、特に会話らしい会話はしなかった。
黙って車に乗っていると微かに走行音が聞こえる。エアコンの音も聞こえるし、ラジオも聴こえる。会話は無かったとしても決して無音ではない空間。でも僕は「静かだなー」と思ったのを覚えている。
夏という季節はこういった生活の中にある様々な音までも静寂に変えてしまう。例えば甲子園の中継や蝉の鳴き声や、「涼しげ」なんて言われる風鈴の音でさえ夏のもたらす気だるさに包まれて、輪郭のないぼんやりしたものになる。
活気、そして人間の体力が、共にはるか上空に吸い上げられてしまったんじゃないかと思ってしまう。DJが軽妙にトークを展開しようが、実況が熱く甲子園の模様を伝えようが、それは水の中から聴こえてくるようでただただ眠い。お経を聴いているような気分になる。なにもかもがぐにゃぐにゃになって全てが面倒で前後不覚になって溶けたアスファルトみたいに真っ黒でドロドロで気付くと時間だけが過ぎている。