縦裂FNO

日々、見るもの流れゆく物の例え。

夏はよく人が死ぬ 前編

小学3年生の頃の話。

8月に入り夏も盛りの頃、僕は何をするでもなくただボーっと夏休みを過ごしていた。友達もそれほど多いほうでは無かったから、やることと言えば宿題をするか、横になって天井を眺めているか、そんな夏休みの日々。しかし退屈だったという訳ではない。子供だった僕は「何かしないと時間がもったいない!」などと感じる事は無かった。というのも、子供は無為に過ぎゆく時間に対して焦燥感などないのだ。そりゃ当然休みが終わり学校が始まるのは嫌な事だけど、そんなことなど終わりのないルーティーンの一部に過ぎず、永遠に続く淡々とした日常の些細な心の揺らぎのようなもの。小学生の僕の目の前には広大な空白があって、自分がまっすぐ歩いているのか横にそれているかすらわからない。その空白はどんな方向に進もうが、何度転ぼうが目の前に広がるのは、ただただ無限に広がる真っ白な空白で、ただそんな空間もいつかは色づき、壁が表れ、道は狭まり一定の方向にしか進めなくなることなどには気づきもせずに...

 

 平日のある日、僕はいつも通り朝8時に目を覚ました。本当はもっと寝ていたい、だが友人が休みの日でも7時には起きていると言う話を聞いて以来、自分も見栄を張り少し早起きする癖をつけていた。眠い目を擦りながら自室を出るとリビングからジャズが聴こえてきた。そして漂うコーヒーの香り。一瞬今日が何曜日かわからなくなった。この感覚はいつもなら土日の朝にやってくるはずのもので、父は決まって土日の朝はジャズを流しながらコーヒーを淹れるからだ。しかし今日は平日のはず、まさか曜日を間違えたのかなどと思いながらリビングへ入る。すると案の定、父がいた。

「お、起きてきたか。おはよう」

父は休日に出勤した際の代休ということで休みだった。

「しかしアレだろ。毎日暇だろ。今日はプールでも行くか?屋根つきの新しい市民プールができるらしくて、それで今ある古いほうのプールがタダになっててな、たまには2人で出かけよう」

父の事は決して嫌いではないけれど2人でいるとどこか気恥ずかしさを感じてしまう。だから僕はいつも父の誘いに対しては”う~ん”といった曖昧な返事ばかりしていたが、「昼には戻って来るから!な!」と言われ、無碍にするのもどうかということでプールに行くことを承諾した。

 

その2へ続く。