縦裂FNO

俺はポエマー、すべてイカサマ。

(小説)ST∃M 『これは君の日々 3』

 

1.

 とても綺麗な三日月だった。そして、とても強く輝いているせいか、「月」本来の形を示す丸い影がうっすらと浮かび上がっていた。わたしはその影をそっと、三日月の鋭利な先端を結ぶように、弧を描くように指でなぞる。けれど、できあがったその形はどこかいびつで、綺麗な円形とはならなかった。

 

2.

 乾ききった冷たい風の吹き荒れる季節だというのに、わたしはその夜心霊番組を見た。番組の中で芸能人たちは、真夜中の廃墟へ潜入し、霊の存在を証拠づけるその瞬間を捉えんとするが為に恐怖心をねじ伏せ、悲鳴を上げながら撮影に挑んでいた。そして、芸能人の主観カメラや設置された定点カメラは、誰もいないはずの部屋で不気味に響きわたる奇音や不可解な現象を映し出す。

 いつのころからか、心霊特集のテレビ番組を見たところでそれをお風呂や寝るときに思いだして恐怖に悶えるという経験はしなくなった。わたしはその日も、寝る前にベッドの中で先ほどの廃墟のことを考えた。あの暗く湿った荒れ果てた空間、勝手に開くドア、地下に溜まった水、謎のラップ音、横切る影、出所のわからない視線。さまざまな恐怖分子が廃墟を構成していた。ただ、ひとつ気になるのは、今こうしてわたしが寝ようとしているときも、あの廃墟はちゃんと存在しているのだろうか?ということ。芸能人がいなくても、カメラが無くても、誰も見ていなくても、ドアが勝手に開いたり変な音が鳴ったり物が勝手に動いたり、月明かりの下に人影が揺らめいたりするのだろうか?そんなことを考えていると、廃墟という空間の存在がとても疑わしく感じられた。

「廃墟ってさ、誰かがふとその存在を思いだしたり、その場所に行ったりしたときにだけ存在が発生したりして」

 

3.

 祖母はこの頃寝てばかりになった。今も窓際の座椅子に座り、わたしの名前を切れぎれに呟きながら、こくりこくりと眠っている。

「お母さん、おばあちゃんはどうしてこんなに寝てばかりなの?」

「おばあちゃんはね、夢を自在にコントロールできるのよ」

「夢の方が楽しいから寝てばっかりなのね」

「そう。おばあちゃんももう90歳だからね、現実がつらいのよ」

 食事中、祖母は言う。「夢はつらい」

 祖母の言う「夢」とは、どっちの世界のことを言っているのだろう。祖母にとっての現実はどちらなのだろう。

 

4.

 思いだすだけで、今この時や、未来を擦り減らしてしまうような酷い過去。思い出というフィルターをもってしても美化されない酷い過去。そんなとき、夢は時系列を乱し、混沌によって苦痛を根っこの部分から消し去ってくれる。しかし、時にはより強い印象として、心の奥底までその浸食を進めてきたりする。

「それでも、可能性や多様性という意味では現実よりマシなのさ。嫌なことがあったんだろ?早く寝ろよ」

新年のご挨拶

 

 クリスマスが終われば世間は急速に年末の空気を放ち、人々はいろいろな物事を「納め」、メディアは1年を「まとめ」始める。たしかに世間がそういう空気を醸せば僕自身、意識せずともその年を振り返って、来る新しい年に空想や期待を重ねてしまうが、時間の概念的には12月31日と1月1日は単に「今日」と「明日」、「昨日」と「今日」の関係でしかない。

 地続きの人生を、終わりのない世間を、何かの節目で区切るというのは、一体どのような意味があるのだろうか。心機一転の為だろうか、政治の為だろうか、経済の為だろうか、僕はいろいろ考えてみたが、要するにそれは「歴史」の為である気がする。

 老人は「ずっと昔のことだ」と語る。区切る必要がないからだ。時代も、年齢も、西暦も。それらすべてを含んで人生という1本道であるならば、見つめなおす過去の人生の時間軸など大した意味はない。

 初日の出が、明日の日の出より美しいわけではないのだ。

 

 ということで、ことしもよろしくお願いします。

ヴィクトル・エリセの映画『ミツバチのささやき』『エル・スール』

 

 ヴィクトル・エリセ監督の映画『ミツバチのささやき』と『エル・スール』を観た。観たといっても3回目くらい(エル・スールは4回目くらいかもしれない)で、要するに何度か見返す程には好きな映画なのである。

 ヴィクトル・エリセは1969年に監督デビューして以来、長編作品は僅か3作品しか撮っていない(短編は4作)。寡作にも程があるだろ、と言いたくなるほど寡作。しかしそれだけ映画の完成度は高い。

 まず、映像の美しさという点においてヴィクトル・エリセ監督の右に出る者はないように思われる。写実的な油絵のような、濃く、温かみのある色彩に加え、計算し尽くされた構図はまるで絵画のよう。さらに、2作ともセリフが少なく極めて静かな映画なので、各シーンが持つ美しさがより際立つ。それともうひとつ、言い方は悪くなるが、おそらくこの監督はロリコンだ。というのも、両作品とも主人公は幼くはちゃめちゃに美しい女の子。まぁ宮崎駿みたいなものだと思えば良いのか。しかし、この美しすぎる幼女が作品に神秘的かつファンタジックな雰囲気を与えているのも事実。

 つまり、めちゃくちゃに美しい幼女がめちゃくちゃに美しい構図や色彩のなかで、どこか儚げな絵画のように佇んで、ファンタジックな空気を出しているわけだ。もはや語らずとも「詩的」な映像。すごく、すごく眠くなる映画だけどお勧め。

(小説)ST∃M 『これは君の日々 2』

 

1

11.16 21:03

 またやってしまった、わたしはそう思った。単にコンタクトをつけたままお風呂に入ってしまったというだけなのだが。わたしは湯船に潜り込んで、水中から水面を見てみたいのだ。しかしコンタクトをしていては水中で目を開けることができない。すると、母が突如浴室に入り込んできてこう言った。

 

「いや、コンタクト外したら見えないでしょ。あんた視力0.02」

「べつにいいんだって」

「ゴーグル」

 浴室の照明の光が屈折し、揺らめいている。わたしの髪も踊るように揺らめいている。潜り込んだお湯の中で触る自分の髪は乾いているときよりも少し柔らかく、優しい感じがした。

「心臓の音は揺らめかない」

「音は揺らめかない」

 

2

11.17 17:21

 火事のあったヤニリ町のアパートは、既に新しい住民が入居していた。

「いやー、最近は事故物件とか人気でしょう?私も流行というやつに乗ってみましたよ」

「まぁそうだけども、まさか焼けた部屋のまま入居するとはねぇ」

「これが新しさというものですよ!」

「また火事になってもわからないね」

「メリットです」

 

3

11.17 17:49

「『若草』って言葉あるじゃん」

「あるね」

「あんまり若さ感じないよね」

「わかる」

 

4

11.18 04:16

道路工事を早朝にするのは、単に人がいないからというだけの理由だろうか。日が昇る前とはいえ、ぼんぼりのようなバルーンライトで辺りは昼間のように明るい。水分不足のような顔をした作業員が機械的に同じ動きを繰り返している。工事は、道路を舗装するためのものだった。わたしはゆっくりと足を踏み入れる。熱くやわらかなアスファルトはぐにゃりと沈み込んだ。足を持ち上げると、靴底は黒い糸を引く。何かが溶けている。これはアスファルト?靴底のゴム?わたしは熱々の地面を歩き続ける。

「こら!あんた!ここはまだ地面が熱いから歩いちゃダメさ!」

「おじさんたちは?」

「俺たちゃいいんだべ!」

 振り返ると、作業員たちはみな、体が半分ほどアスファルトに飲み込まれていた。

「あとで彼らに眠気覚ましを買ってあげます。ところでおじさんはなんで左足がないの?」

「地面になっちまっただ」

 

5

11.18 12:21

「ここは来月解体が決まっている」

わたしはそのもうすぐ壊されるという建物の壁に手を当て、目を閉じる。建物や土地に記憶というものがあるのなら、この建物が持つ記憶は、まもなくバラバラに崩れ落ちてしまう。

「誰もが祝福されて生まれてくる」

「でも自殺する人はいるでしょう?」

「ここも同じだよ。経営が行き詰って倒産したんだから」

「倒産は病死じゃない?」

「経営を断念するんだがら自殺だよ」

「例えば、もう使われなくなって久しい場所でも、建物自体が存在し続ける限りは『ああそうだ、ここにはこれがあって、あそこはああなってて~』ってわかるもんだよ。その建物を使ってた人はね。霧散していた記憶がすーっとまとまるのさ。でも建物が取り壊されたら、もうそれも無理なんだ。その場から導き出される記憶というのはすべて消える」

「それは人間の記憶というより、建物が『思い出せ!』って、わたしたちに記憶を送りつけているみたい」

「そんな感じだろな」

情報の必要性

 

 その日は特に用事があるわけではなかったが、母の仕事が休みだということで、いつまでもダラダラと寝ているわけにはいかなかった。僕はいつもより少しだけ早起きをすると、顔を洗ってリビングへと向かった。すると母から朝の挨拶も無いままに「ねぇ聞いてよ!」と声をかけられる。

「朝早くに婆ちゃんから電話があってね、6時半くらいに」

「婆ちゃんがどうしたの?」

「電話に出るなり『どうしよ!あんな、婆ちゃん頭がおかしくなってしもうた!』って.....」

「えええぇ」

「『今日が何曜日かわからんくなってしもうた!』って。それで爺ちゃんと朝から喧嘩したらしいよ。今日が水曜か木曜かってことで」

「嘘でしょ....」

「もうほんと呆れる....」

 

 母方の祖父母は2人とも87歳だ。当然だがこの年代の老人は近代化というものとは一切無縁の生活をしているし、適応する能力もない。祖父は元農林水産省職員という立派な職に就いていたが、退職してからというもの、新聞を取ることも辞め、ニュースすらも見ることはなく、老後の過ぎゆく日々をスカパーの時代劇チャンネルを見ることと、海へ釣りに行くことだけに費やしていた。そして近年大きな病気をして以来、釣りに行くことすらやめてしまった。祖母はそんな祖父を60年以上専業主婦として支えてきたので、社会に出た経験はなく、当然「世間」というものを知らない。3人の娘と、酒癖が悪くわがままな祖父を文句ひとつ言わず支え続けてきたその主婦として、妻としての姿勢は素晴らしいものがあるが、当然2人は全く世の中から隔離されてしまった。どれくらい世間から隔離されているかというと、それは東日本大震災を知らなかったというほどである。そのことで母はこの世離れ夫婦をきつく叱責したようだが、特に生活は変わっていないように思える。

 僕と母は、果物とヨーグルトだけの簡単な朝食を食べると、午前中のうちに家電量販店へ向かい、大きなデジタル電波置時計を購入し祖父母の家へ向かった。

 昼過ぎには祖父母の家に到着した。急な訪問だったので祖母は不在だったが、祖父が出迎えてくれた。

「爺ちゃん、ほらこれ!時計買ってきたから!ここに日付と曜日でるから、毎朝確認してね」

 母はそう言うと、買ってきたばかりの、大きな液晶のデジタル時計をテレビの横に置いた。

 しかし、予想もしていなかった事態が起こる。祖父はデジタル時計の見方がわからなかったのである。ちょうど時刻が12時過ぎということもあったが、祖父は時刻と日付を勘違いしていたのだ。その後時計の見方を何回か言って聞かせたが、正しく理解し、祖母に時計の見方を伝えられているかは怪しいところだ。

 別に僕はこの祖父母の悪口を言っているわけではない。むしろ「今日が水曜か木曜化で早朝から喧嘩する」なんて、なんとも笑える話だし、可愛く思えるくらいだ。ただ僕はこれだけ世間から離れていても、ちゃんと人間的に生活できていることに驚いた。『デジタルデバイド』という情報格差を表す言葉があるが、彼、彼女ら老夫婦は2015年という現代を駆け巡る情報、システムからは完全に隔離されつつも、体調がすぐれないことを除けば幸せに生活できている。この老夫婦の時間、彼らだけの時計の時間は20年以上止まっている、もしくは同じ時間を何度も何度も繰り返されているのかもしれない。

 このことをきっかけとして、僕は情報の遮断というものについて少し考えてみた。国家の情報隠蔽のような大層な話ではなく、単に個人として生きる上で目にする、耳にする情報に限定した話である。

 物は試しということで、僕は毎日行っているの好きなスポーツのニュースチェックを3日やめてみた。そして3日後にまとめてニュースをチェックしてみると、2つほど気付いた点があった。まず、ひとつめに、ニュースチェックが楽しくなったということである。惰性ではなく、本当に必要性があってニュースを見ているという感覚がしたのだ。そして2つ目は、出来事(ニュース)に「流れ」のようなものを感じたということである。久々に会った親戚の子が大きく成長していたり、数日見ていなかった植物の芽が大きく伸びていたりするように、物事は少し目を離していたほうが、その大まかな変化や出来事の推移を「流れ」として感じ取りやすいのだ。

 つまり情報はある程度「フレッシュ」である必要は無いのかもしれない。世間を「知る」ことは重要だが、ある程度そこから身を離すことで得られるものもあるということだ。それがスマホ依存症の現代人にこそ必要なものなのかもしれない。

今日もあしたも今日が終わる

 

 数年前、旅行でとある県に行ったときのこと。観光のために延々と歩き回った僕は少し休憩をしようと、近くにあった喫茶店に入った。その日はよく晴れた暑い日で、僕は汗を拭きながら席に着くと、店のおばちゃんにアイスコーヒーを注文した。

「アイスコーヒーは砂糖入りと砂糖無しがありますけど」

「え?じゃあ無しで」

 数分後、運ばれてきたコーヒーは深入りですごく苦かった。「ガムシロップはくれないのか...」と思いながら、渋々アイスコーヒーを飲んでいると、ふと窓の外に一風変わった信号機があることに気がついた。

 その信号機はカウントダウン式の信号機だった。赤信号から青信号になるまでの待ち時間がカウントダウンされるのだ。その信号が何秒待ちだったか、詳しくは覚えていないが、赤信号が青になるまで、おおよそ70秒か75秒くらいだった気がする。僕は「なかなかいいなこれ」と思いながらしばらくその信号機を眺め、気が済むとリュックから観光案内や地図を取り出してこの後の予定を立てた。

 予定も決まり、一息ついた僕は、再度なんとなく窓の外の信号を見る。信号の待ち時間は「60」だった。僕は「ちょうど1分」と考えた。そしてさらに少し時間が経った後に再び信号機を見ると、またもや「60」の表示だった。僕はさっき信号を見たときから1分経ったのか、2分たったのか、はたまた3分経ったのかわからなくなった。

 その後も信号を見るたびに「45」「55」「20」など様々な数字が目に飛び込んでくる。そしてそのたびに僕は、どんどん時間が削り取られているような気分になった。時間の経過を、まざまざと数字で見せつけられているのだ。僕は若干の嫌悪感を抱いて、店を出るころには「嫌な信号だ」と思っていた。

 

 早起きしなければならないというのに、前日の夜になかなか寝付けないという経験はだれしもがあると思う。つい先日の僕もそうだった。

「音楽を聴けば眠れる」そう思い、僕はiPodにイヤフォンを差し込み、再び布団に潜り込む。好きな音楽というのはいつ聴いたって嫌な気分はしない。僕は次から次へと曲を変えて音楽に没頭した。

 ただ、眠りはやってこなかった。それどころか、1曲聴き終るごとに「もう5分経ったのか....」「もう4分経ったのか...」「もう3分....」「10分....」と『時間の経過』を意識するようになってしまい、そしてまた1曲、2曲、3曲と、曲を聴き終る分だけ睡眠時間が削られてしまうことに、ひどく焦りを感じた。このときに、数年前の旅行、上記した喫茶店でのことを思い出した。『時間の経過を意識させられるもの』それはなんとも嫌なものだ。

 

 映画を観終わって外に出たとき、夕日が眩しかったり、すっかり日が暮れていたりすると、どことなく寂しい気分になる。『時間の経過』とは、きっとそういうものなんじゃないだろうか。

 

(小説)ST∃M

 

 ある日、見慣れたはずの高級中華料理店は、ただの壁になっていた。

「そんなはずはない」わたしはそう思ったが、かといって確実にそこにあったという確信は持てなかった。ただ、過去にその店で一度だけコース料理を食べたことがあるという記憶だけが、その存在のより深い証明であったが、今や壁となった「そこにあったかもしれないもの」を見つめていると、その記憶もぐにゃりと曲がり、傾いた。

 このことに関して、わたしの最終的な判断は「どうでもいい」というものだ。ただなんとなく、その店の前を通る度にそこに中華料理屋があったような気がしていただけだし、加えて「行ったことがある」、そんな気がしていただけだ。もし、わたしが知人から「いつもそこにあったお店が、ある日壁になっていた」と聞かされれば、わたしは驚きの表情をしてみせ、根掘り葉掘り詳しくそのことを聞き出すだろう。だが、いざ自分の身にそのような出来事が降りかかってきたからといって、秒をおって過去を生み出しつつある現在進行形のこの人生に、今この時のような摩訶不思議な出来事が、歪められた過去を内包する現在として未来との間に切り込んでこようが、このわたしの人生における前後の文脈に特に変化は認められそうにもなかった。要するに「どうでもいい」のだ。

 わたしはその足で駅の近くにあるカフェに入ると、熱く濃いシアトル系のブラックコーヒーを飲んだ。ソファに腰を下ろし、しばらくはスマートフォンで今日一日のニュースを眺めて時間を潰したが、他にやるべきことも見当たらなくなって、そろそろ店を出ようかとしたその時、隣に座っていた20代前半の女性が、テーブルの上にあったココアの入った紙コップを勢いよく倒した。ココアはテーブルの上にさらりと広がり、その最前線は勢いそのままにテーブルの縁から滝のように滴り落ち、正方形のマス目に区画された石造りの床にココアの水たまり2号を作った。ぴちゃん、ぴちゃん、その後もココアは音を立てながら等間隔でテーブルから床に滴り落ちる。わたしはそれをじっと見つめる。ぴちゃん、ぴちゃん。ココアは、床の溝の上を、導火線を伝うようにゆっくりと流れ徐々に私に近づいてくる。私は荷物をまとめ素早く店を出た。

 ふと目が覚めたとき、その時間がまだ響き渡るアラームによりいそいそと起きなければならない時間より数時間も前の、深夜と朝の中間に位置する時間であることを、わたしは即座に理解した。わたしはあまりにも眩しい月明りで目覚めてしまったのだ。コンタクトをしていない眼球は、月の輪郭を消して、放射状に伸びた黄色い光によりそれが円形であることをわたしに見せた。布団に深く潜り込む。それでもなぜか、月明りに「晒されている」という感覚に陥った。消防車と救急車のサイレンは、反響音を残して静かに遠くへ消えてゆくのではなく、わたしの耳元でなり続けた。

「ヤニリ町で火事があったそうよ。あの公民館の裏」

「ほほ。やはり夢ではなかったのか」

 帰り道。日も暮れて辺りが薄暗くなってきた頃、わたしは少し遠回りをして火事の起きたヤニリ町を通る。辺りを見回すと、公民館の裏手の少し奥まったところにあるアパートが半焼していた。わたしはその焼け跡を見てぞっとした。黒く焦げたアパートは、まるで蓋骨が叫んでいるようであった。辺りの薄暗さもあってか、その焼け跡は不気味な雰囲気を醸し出し、焼け爛れた窓やベランダは深い深淵となって、声ならぬ叫びを響き渡らせていた。わたしは急いでその場から立ち去った。

「あんた、はやくでないと遅刻するよ!」とは母。

 見慣れた顔が視聴者に挨拶をする。「おはようございます!」朝のニュース番組が始まった。つまり時刻は朝の8時00分。到着目標は8時20分。目的地まで徒歩18分。わたしは少し急いで靴を履き、玄関の扉を開ける。ドアの取手は酷く冷たかった。

 目的地に着いたとき、わたしの腕時計もスマートフォンも、8時02分という時刻を示していた。

 「今日はね、1日が23時間と42分なんだって。昨日の火事で軸がずれたのが原因だってパパが言ってた」

 9時間後、わたしは「もう随分と長いこと湯船にお湯を張っていないなぁ」と思った。

「よし、今夜はあつあつのお風呂につかるぞ!」

「風呂桶は持っているのかい?プラスチック製のさ?」

「ない」

 ホームセンターに着いたわたしは、プラスチック製の浅く広い風呂桶を2つ購入し、そのなかに財布を入れて家まで帰った。

「まるで銭湯に行く人みたい」

「帰りかもしれないよ」

 37℃のお湯はぬるすぎてつかることができなかった。そこでわたしは風呂桶を2つ湯船に浮かべる。ひとつにはシャワーから熱々(約45℃)のお湯を注ぎ、もうひとつには冷たい真水を入れた。わたしはそれをにこやかに見つめる。熱々のお湯が入った風呂桶は、プラスチックの壁に遮られているとはいえ37℃(それもさらに冷めつつある)のぬるいお湯に囲われていることで徐々に熱を失うだろう。対して、真水の入った風呂桶はぬるま湯といえども、37℃のお湯に囲われて徐々に熱されてゆくだろう。そして二つとも同じ温度になるのだろうか。わたしは服を脱いでいなかった。

 

 これは2年前に書いた文ですね。意味わかんないですね(実はわかってる)。USBのファイル漁ってたら出てきたものです。なんか勿体ないので載せました。